翌朝6時、管理入院中の習慣通り目が覚めた。私は深夜、傷の痛みでは一度も起きなかったようだ。あまりの「いつも通り」に拍子抜けした。もしかすると痛みも夢なのかもしれない…そんな冗談を思いながら私は身体を動かしてみることにした。
「!!!!!!(い・た・いっ!)」
夢ではなかったか…。残念。
一般に言われているのは、帝王切開の辛さは術後3日間である。しかし実際に体験するとあまりの辛さに、時間が流れているのかもわからない無為の時間を過ごすことになった。辛さの一瞬が連続することで、それは永遠なのではないかと錯覚するほどであった。初めてのことは見通しが立たないので仕方ないことではあるのだが、弱っている身体は精神をダークサイドに突き落とすことがよくわかった。一人スターウォーズ。
しかし、1日経つと明らかに気持ちは違った。痛みは昨日と変わりないかもしれないが、眠れたということで身体が回復していることが実感できた。睡眠の力は素晴らしいと思った。
9時頃、1時間に一回検診にやってくる看護師が言った。
「子宮からの出血が落ち着いているようなので輸血の必要はないですよ。バルーンも外せますよ!よかったですね。」
輸血は不要となった。これで私にとっての帝王切開の手術が本当に終了したと思った。
★
9時半。バルーンを外すために処置室に呼ばれた。看護師が車椅子を持ってきた。
「立ち上がって車椅子に移動してください。」
翌日には歩くとは聞いていたが、朝早くから早速試練が訪れた。歩けとは言っていない、車椅子ですよ、と看護師の目は言っていた。
ちょっと待ってくれ。車椅子に座るには、1.寝ている体を起こす、2.体をひねって向きを変える、3.立ち上がる、4.車椅子の前まで移動する、5.車椅子に座れるように向きを変える、6.車椅子に座る、このステップが必要になる。そして処置室に行けば、処置室の椅子に座るために、またこの逆のステップ。すでに4で数歩でも歩くじゃないの!?
頭でつべこべ考えてもやるしかないのは変わりないので、勇気を振り絞ってリクライニングのボタンを押して上体を起こした。問題はここからだ。体をひねるのに下腹部に今までで一番の激痛が走った。
「い、い、痛い、痛い…!」
初めて声を上げた。というより、呻いた。
いかに一連の動作に下腹部の筋肉を使っているのかを理解した。ひねりがこんなに痛いとは。なんとかひねっても今度は立ち上がる動作。うああああ。冷や汗が出る感じだった。体を支える腕に思いっきり力が入る。ところが一度立ち上がると歩く動作はすり足をすれば耐えられない痛みではない。私は車椅子に向かって歩き始めた。一歩進むのに3秒くらいはかかっただろうか。バイオハザードのゾンビよりひどいと思った。
ところがその歩行の立ち上がりが思ったよりもスムーズだったのだろう。
「も、もしかして、車椅子に座らずに歩きますか?」
看護師が言った。そうか、その手があるか。なるべくひねる、立ち上がる、また座るの動作を少なくしたい。このまま処置室まで歩いた方がマシだと判断した。
「そ、そのまま歩きます。」
私はコロのついた点滴台に手をかけて、後ろから看護師に見守られながら、よろよろとゆっくりゆっくり歩いて処置室に向かった。さらりと「帝王切開で産んだよ!」と言った、これを乗り越えた、私の周りのお母さんたちに尊敬の念を持って。
★
処置室で主治医にバルーンを外してもらい、再び歩いて部屋に戻った。すると傷口を消毒しに再び主治医がやってきた。
「さすが、ジャッキーさん。もう歩いたんですってね。回復が早い!」
と言われた。標準がなんだかわからないが私は早く歩いた方なのか。褒められたようで嬉しかった。
12時には早速重湯を食べた。14時には病室で尿道カテーテルと輸血用ルートを外した。デコ母がお見舞いにやってきた。病室に赤ちゃんを連れてきてもらった。デコ母と赤ちゃんを見ながら歓談。尿道カテーテルを外したことから歩いてトイレにも行った。もちろんベット、トイレの座椅子の、立つ・座るの動作は辛かったが、やるしかないのである。昨日の時点ではここまで回復するなんて信じられなかった。
手術二日目朝にどうしても傷口が痛ければ処方すると言われていた座薬の痛み止めも、朝の一件で申し出るのを忘れていた。不思議とじっとしている時は飲まなければならないほどの痛みはなかった。主治医より痛み止めでは効かないため頑張って耐えてほしいと言われた後陣痛(子宮収縮)も、最初のお産で体験しているせいか、傷を負っても想定範囲の感覚で、耐えられないほどでもなかった。
18時半。ナースステーションより連絡があった。
「赤ちゃんが泣いています。授乳できますか?」
容赦ないなと思った昨日の授乳とはうって変わって、回復の兆しが見えたことで私は奮起した。念のため処方してもらった口径の痛み止め(カロナール)を飲んで授乳室に向かった。いよいよ赤ちゃんへの授乳、細切れの睡眠が始まる。
処置室で主治医にバルーンを外してもらい、再び歩いて部屋に戻った。すると傷口を消毒しに再び主治医がやってきた。
「さすが、ジャッキーさん。もう歩いたんですってね。回復が早い!」
と言われた。標準がなんだかわからないが私は早く歩いた方なのか。褒められたようで嬉しかった。
12時には早速重湯を食べた。14時には病室で尿道カテーテルと輸血用ルートを外した。デコ母がお見舞いにやってきた。病室に赤ちゃんを連れてきてもらった。デコ母と赤ちゃんを見ながら歓談。尿道カテーテルを外したことから歩いてトイレにも行った。もちろんベット、トイレの座椅子の、立つ・座るの動作は辛かったが、やるしかないのである。昨日の時点ではここまで回復するなんて信じられなかった。
手術二日目朝にどうしても傷口が痛ければ処方すると言われていた座薬の痛み止めも、朝の一件で申し出るのを忘れていた。不思議とじっとしている時は飲まなければならないほどの痛みはなかった。主治医より痛み止めでは効かないため頑張って耐えてほしいと言われた後陣痛(子宮収縮)も、最初のお産で体験しているせいか、傷を負っても想定範囲の感覚で、耐えられないほどでもなかった。
18時半。ナースステーションより連絡があった。
「赤ちゃんが泣いています。授乳できますか?」
容赦ないなと思った昨日の授乳とはうって変わって、回復の兆しが見えたことで私は奮起した。念のため処方してもらった口径の痛み止め(カロナール)を飲んで授乳室に向かった。いよいよ赤ちゃんへの授乳、細切れの睡眠が始まる。