そしてその色とりどりのランドセルがあることを前提に、世の中には婚活ならぬ「ラン活」があるのだという。なんでもお気にいりの色のランドセルを買うには早々に予約をしなければならず、それと決めるまでにいろいろ下見を済ませておかなければならないというものだった。ランドセル購入のためにインターネット予約が殺到してサーバがダウンした、という話は一昨年ニュースで見たし、実際会社の同僚はさっさとランドセルの色を決めて、色別の予約期間に合わせて5月下旬には予約を済ませたと話を聞いた。
そしてとうとう来年トゥットゥが小学生になる。「ラン活」という言葉もなんともなしに意識し始めた。子供番組を見ているとランドセルCMが目に留まることがある。彼女にどんなランドセルがいいか聞くと真っ先に「青」と答えた。「水色じゃなくて?」と質問しても、首を振って男の子の持つような真っ青な色を指さした。青が好きな彼女らしいと思った。私も青色が好きなので彼女の希望を叶えてやりたいと思った。
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5月連休にエミィさんから「うちの会社、社割があるよ」といってランドセルのカタログをもらった。トゥットゥにはそれをまだ見せず、エミィさんと二人だけでこのランドセルいいよねと話に花を咲かせた。トゥットゥが青がいいと言えばこの辺りを勧めてみようとなんとなくイメージも固まった。結局大人が選ぶのはシックな色なのである。
そして5月連休明け、トゥットゥとデパートに寄ったときのことである。ランドセル売り場があることに気がついた。そしてすでに去年ラン活を済ませてピカピカの小学校一年生の子を持つ同僚からのアドバイスを思い出した。「ランドセルは背負わせたほうがいいよ」
「トゥットゥ、ランドセル売り場に行ってみる?ちょっとどんなのがあるか見てみようか」
行き当たりばったりのこの声かけがこの後の混乱を生むとは誰が予想しようか。(この件を知人に話すと、それは無計画な貴女が悪いと指摘されるのだが…)
ランドセル売り場は特別催事場で、以前あった五月人形はすっかり片付けられ、色とりどりのランドセルが並んでいた。トゥットゥが欲しがっている青のランドセルはあるかしら、青でもどんなデザインがいいか、そんなことを思いながら眺めていた。
「ねぇ、トゥットゥ、この青はどう?」
振り返るとトゥットゥがいなかった。どこだ?辺りを見回すと、一番隅にいた。そしてこちらを振り向くとテ、テ、テと寄ってきた。
「お母さん、トゥットゥ、あのランドセルがいい。」
隅にあったあるモチーフのチャームのついた淡いラベンダー色のプレミアム(高価格帯)ランドセルだった。
ラベンダー色!?よりによって淡いラベンダー色!??
私の中で一番考えられない色だった。ラブリーさが許せない。そして何よりダサい。
私が面食らって言葉を失っていると、売り場の販売員の若い女性も察したのだろう。同じ種類のランドセルの黒を勧めてきた。しかしトゥットゥはかたくなにラベンダー色を指した。私はその場でありとあらゆる説得をした。
貴女、青がいいって言ってたでしょ。青はどうしたの。大好きなモチーフだからそれがいいって言ってるだけだよね。そもそもこれプレミアムランドセルですごく高いんだよ。紫色は今は可愛いけど、小学校6年生のお姉さんになったときに子供っぽくて嫌になるよ。それに色が薄いランドセルは汚れが目立つ、濃いほうがいいよ。そのランドセルは目立つからお友達に囃し立たり悪い人に目を付けられるかもしれないから心配、などなど。しかし彼女には柳に風。
終いには大人気なく
「お母さんは紫色は大嫌い!」
言いながら、私は光速スピードで反省もしていた。私が大好きな母親にそんなことを言われたら本当に萎えてしまう、娘になんてことを言ってるんだ! しかし自分の感情が抑えられない。それくらい動揺していた。
彼女も欲しいもののためならタフである。ケロッとした表情で
「そう?トゥットゥは紫色、好きなんだけどなあ。いいと思うんだけどなあ。」
私は根負けしてそのラベンダー色ランドセルを仕方なく背負わせた。
トゥットゥの顔は輝いていた。お気に入りのランドセルを背負う姿を思わずスマホで写真に収めた。可愛い。こんなうれしそうな顔をされたんじゃあもう何も言えないじゃないか。
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私は帰り道、トゥットゥのランドセルを背負った写真をLINEでサチ母、デコ母、ヤマナちゃんに送って意見を求めた。ユキちゃんに送らなかったのは、確実にラベンダー色は拒否し、子供にイケている色はこれであると強制する価値観の持ち主であるとわかっていたからだ。例えばキャラクターものの服は、アニメならまだしも、ディズニーですら、どんなに子どもが望んでも着せないなどユキちゃんは徹底しているのだ。
先の彼女らも全員シックな色がいいという価値観の持ち主だが、子どもの意見を汲むかどうかを聞きたかった。皆一様に「色は微妙だけど…」というニュアンスを醸し出しつつ、「トゥットゥがいいんならいいんじゃない?」という反応だった。孫や姪っ子とはいえ、所詮よその子の話であり、押し付けるのはかわいそうだ、好きなようにさせてやれというのが一般的な反応なのかもしれない。
ヤマナちゃんだけは現実的な意見を付け加えてくれた。「我が家だったら予算を超えていると言って諦めさせるね」確かに。教育上予算を意識させるのは大切なことだ。私はこの視点がすっかり抜け落ちていた。その手でいくか…とも考えた。しかし値段上限を決めたところで、ラベンダー色を選ばれてしまったら元も子もない。やはりラベンダー色をどう扱うかが論点なのである。
私はユキちゃんがおそらくするように「これが我が家が認めるランドセルです」と言い切って、親の美意識を教え込むべきなのか迷ったのだ。しかしそれを言ってしまうと、すでに私の美意識から外れるものの、トゥットゥ可愛さに身に付けさせているキャラクターの服やピンクのフリルの服の説明がつかない。これは私が幼い頃、デコ母の美意識下でトラッドな服が多かったことからフリルやパプスリーブの服に憧れた反動で、子どもが望むならと許可したものである。
ではラベンダー色のランドセルも許可すべきなのではないか。何を迷っているのか。
私は自分に問うた。あんな色のランドセルを背負わせている親と後ろ指を指されるのが嫌なのか。否。私の近所の評判などどうでもいい。6年間だ。服と違って6年間も私の美意識から外れるものがずっと家にあり続けるのだ。それが我慢ならないことに気づいた。自分の変な狭量さに呆れた。
ここで一番最初に話し合うべきパートナー・ジェイジェイのことを考えた。彼には意見を求めなかった。彼の回答はすでに聞いてわかっているからだ。
「子どもの好きなようにさせろ。その色を選んだ責任を取らせろ」
責任と言うが、小さい子がその時代の雰囲気と自分の気分で選んだようなことに責任もくそもあるか、ランドセルであれば「大人っぽい色を選んでよかった」と後々思えるように、時間に耐えらえる美とは何かを教える意味で強制すべきなのではないかというのが、彼の意見に対し私のカウンター的に出てくる意見だった。こうして私はユキちゃん側に寄っていく。
明らかに私は揺らいでいた。
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デパートの一件から5日くらい経った日のこと。保育園の送りの途中、唐突にトゥットゥがこう切り出した。
「トゥットゥは黒でもいいと思っているんだ。ほら黒いランドセルの内側はピンクだったでしょ。ピンクってかわいいじゃない。」
最初何を言っているのかわからなかった。ああ、あのラベンダー色のモチーフ入りランドセルの色違いのことだ。彼女は私が「紫色は大嫌い!」と言ったことを覚えていて、彼女なりに妥協点を見つけて提案してきたのだ。いじらしいと思った。娘の希望を聞いてあげるのが親ではないのかと気持ちが傾いていった。しかしまだラベンダー色を受け入れるには気持ちが追い付かない。
いっそあのランドセルは売り切れたことにしようか、いや嘘はいけない。では時間を稼いで本当に売り切れたことにしようか。しかしあのデパートで売り切れてもインターネットで注文できるのであれば、売り切れ自体嘘である。いずれにしてもあらゆる手を講じて、諦めさせる、買わせない、大人の卑怯な手である。
そんなことをブツブツ呟いていたらジェイジェイが
「売り切れたことにするとかさ、それをするしないはあんたの問題でしょう。トゥットゥを巻き込むなよ。」
と言ってきた。
「そうだよ、私の生き方の問題だよ、わかってるって! あんたは口を出すな。」
と返した。私の気も知らないで。子供に任せろ、責任は取らせろとは聞こえはいいが、あんたの場合は放任と変わらねーじゃねーかとまで、喉まで出かかった。
同時に私は子どもに美意識を教えこむにはすでに遅いことに気づき始めていた。たかがランドセルの色選びに意見が揺らいでいることは子どもが見てもわかる。そんな親に強制されても、結局「親の気分かよ!ただの好みじゃねーか!」と思われかねない。
美意識の名のもとに色を強制するのはよそう。私はラベンダー色を受け入れるためにも、別の売り場に行って他のランドセルを見た上で最終確認しあったほうがあと腐れないと思った。
5月の半ばにイトーヨーカドーに行った。私のイメージでは40000~50000円くらいのランドセルが大半なのだろうと思った。ところが現実は違い、55000~70000円が標準である。これには驚いた。ランドセルは高いのだ。そしてデパート以上の種類があって驚いた。装飾もデパート以上の派手さがある。そうか、デパートのほうがどちらかと言うと通好みの華美さで、イトーヨーカドーはわかりやすい可愛さなのだ。
トゥットゥもざっと見ただけで疲れたようで、「この中だったらこれとこれかな」と指さした。やはり水色か紫色だった。ブレないな…。
唯一の収穫は一緒に行ったジェイジェイが
「ランドセル、こんなに種類があるとは思わなかった。ジャッキーが何を悩んでいるのかわかった気がする」
と言ってくれたことだった。
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最終的に最初に見たモチーフ付きラベンダー色のランドセルを注文した。ゴッシュの誕生会で集まった親族にダメ押しで最終確認した。皆、異存ははなかった。
「私はこう思う。ラベンダー色や水色のランドセルを持っている子は親が子の意見を尊重したリベラル派、赤や茶色やキャメルのランドセルを持っている子は親は伝統を重んじる保守派が多いのだと。そして私は苦渋のリベラル派です。」
どちらがいい悪いではなく、それがその家の流儀なのだ。私はジェイジェイや子供たちと一緒に我が家の流儀を作っている最中である。たかがランドセルにここまで葛藤があったということをここに記しておきたい。