2015年7月6日月曜日

傘を落としてはならない

夏祭り翌日。ヤマナちゃんの結婚報告お食事会(実質結婚式)に着ていくジェイジェイの服を探しに行くことにした。平服でとは言われていたが、さすがに襟の付いたシャツは必須だろう。なんならジャケットも必要ではないか。そんなことを思った。ちなみに私はピアノの発表会の時にきたシンプルなブルーのロングドレス。トゥットゥはデコ母に作ってもらったこれまたブルーのワンピース。お父さんだけカジュアルすぎて浮くのもね…。

問題はそれを買いに行く日付が限られていたことだ。実質この日しかなかった。なぜなら来週末は家族旅行に行く予定なので。そこでサチ母が夏祭り招待で泊まることを予見して、はじめからサチ母も一緒に買い物に行くことを計画した。サチ母はデパートのウィンドウショッピングが好きななのできっと家で退屈するよりはいいだろう。ただ私もバーゲンにはまだ行けておらず、自分のものもゆっくり見たかった。しかしサチ母が一緒ではこの辺りはガマンしなければなるまい。少し苦い思いがした。

一緒に買い物に行く提案をサチ母は快くOK。なによりトゥットゥとお出かけできることが一番うれしかったようで、とたんにウキウキとした様子になったことが見て取れた。バーゲンに行きたいのに…と欲にまみれて若干ブラックなメンタルになっている私とは対象的であった。私はTheoryが好きなので、新丸ビルへ行くことにした。同フロアにはBanana Republic(Gapの上品版)もあるので一石二鳥。東京駅に着いたら、私の気持ちを象徴するような出来事が起こった。





トゥットゥのベビーカーを押して車両から降りたときだ。

「ジャッキーさん、傘!あ、あ、あああ!」

サチ母が叫んだ。私は振り返った。

ベビーカーの持ち手にかけてあった傘が車両とホームの間に落ちたのだ。しかも買ったばかりの高級傘! 車両とホームの間につっぱるように引っかかっていたのだが、ずるずると。車両のドアが閉まる頃にはとうとうホームから見えなくなってしまった。

私は買ったばかりの傘が車両とホームに挟まれて電車が出発すると折れることを想像した。ああー、無情! そんな私の自己中心的な想像とは別に、サチ母は「電車を止めたら大変よ!」と小さく叫んでいた。

電車は無事に発車して最後尾の車両が目の前を通り過ぎた。哀れ、私の傘。線路を覗くと、傘は線路に横たわっていた。あ、傘は無事だ~(ホッ)と思ったのもつかの間、

「電車止まらなくてよかったわねー。」

とサチ母の声が聞こえた。ああ、そうだよ。電車を止めたら、損害賠償ものでしはないか。傘の心配しかしていない自分を恥じた。

とり急ぎホームを駆けて駅員を呼びにいくが、見当たらなかった。ホーム南端の駅員室に行くと、隣のホームの駅員を呼びに行くように張り紙があった。急いで隣のホームの駅員室に行き、事情を話した。傘を落とした場所(○番ホーム、○両目)と伝えると、そこで待つように伝えられた。落とした場所に戻り、待つこと5分。二人の駅員がやってきて、相互確認をしながら、傘を拾ってくれた。

せっかくこれから新丸ビルに買い物に行こうというのに水を差すことになった。とほほ。





いろいろ見て回ったが、結局Banana RepublicでSale品のジャケットを買い、そのままサチ母の案内で銀座へ。サチ母はエミィさんとよく銀ブラをするので詳しいのだ。サチ母がついでにGAPを見たらと提案してくれた。せっかくなのでジャケットに合うパンツや靴、インナーなども見たらいいという配慮のようだった。

めずらしくジェイジェイが率先してボトムスを探し、私はそれに合うトップスを探した。結局パンツ3本、トップス3枚。サチ母がパンツを買ってあげると言った。ジェイジェイはありがたくお金を受け取っていた。私は少しだけひっかかった。 

確かにジェイジェイは仕事着以外は基本的に興味はない。清潔にしていれば問題ないと思っている節がある。よってここに率先してお金を費やすことはない。冗談で私に私服代をたかることもある。ステキな私服の夫でいてほしいでしょ、それは諸経費担当のジャッキーの財布からという理屈らしいが、自分だってもっとおしゃれをしたいのにそれをガマンして夫を着飾りたいとは思わない。着道楽でないことは家計管理する身としてはありがたいが、少しくらいはおしゃれの気概を見せてくれ。それが今日、この時ではないか!?

そこにスっと一万円を差し出すサチ母。最初は素直にお金をいただけてありがたいと思った。しかし稼いでいるのにお小遣いもらうのかと、ジェイジェイの甘えぶりを疑問に思った。しかしもっと言うなら、ここでお金を出すサチ母に疑問に思った。妻も娘もいるのに、目の前で息子にお金を出すか? 

きっとサチ母は他意などない。夏祭りとショッピングを一緒に楽しませてもらったことへのせめてものお礼の気持ちをこういった形で表したかったのだと思う。しかし少し意地悪な見方をするなら、与える母でいる限り、いつまでもジェイジェイは息子である、自分の影響下である、彼の家族も同様である、一種の権威付けのようにも思えた。

ああ、親子は切っても切れないのだ! 無意識に甘えさせ、甘えることをやっているのだ。どちらが先ではなくて、どちらも自然とその状況になるのである。親子のなせる業だ。

そんな思いで支払いをするジェイジェイを遠くから見ていたら、ベビーカーに乗っていたトゥットゥが言った。

「かさがおちたね~」

最初何の話をしているのか、わからなかった。傘? ああ、東京駅での出来事か。

「ごめんね。お母さんの不手際で、落としちゃったね。」

その後も何度も私を見ては「かさがおちたね~」を言い続けた。

傘が落ちたのは、私への警告なのだろう。傘はサチ母というグレートマザーの象徴。ジェイジェイや私はきっとサチ母がこの世を去るまでグレートマザーの傘の下にいるのだろう。目をかけてもらっている状態が大切と思うなら、私たちはつまらないことで傘を落としてはならないのだと。