2015年12月3日木曜日

初めてのお遊戯会

トゥットゥの保育園にお遊戯会があることを初めて知ったのは11月も終わりだった。トゥットゥがなにやら

「はらぺこあおむしをやるのね。」



と家でしきりと言うものだから、「なんですか?それは。」と保育園の連絡帳に書いた。すると先生より返答があった。「12月3日のお遊戯会で披露するのです。」 去年はなかったではないか!? 「0歳児・1歳児クラスは演技するには幼すぎるから見送られ、例年参加は2歳児クラスからです。年間行事予定表にも書いてあります。」 もしや親も見に行けるのか? 「はい、見に来ていただけます。」


なんてこと! 私はこの日に限り重要な用事を入れていた。11月末時点、この用事をずらすのは難しかった。その用事とは…、大病院の診察予約だった。約1ヶ月半前から入れていたのだった。予約を取るのが非常に難しく、近所の診療所で経過観察をしてもらいながら、大病院に移るのを待っていた。私は第二子を妊娠したのであった。





トゥットゥに兄弟がほしいとずっと思っていた。理由の一つは私たちのために育てるのにバリエーションがほしいこと。その意味では男の子がよかった。ただ予感としては女の子なのだけれど(ジェイジェイが女系家族、且つジェイジェイは女の子の親の姿しか想像できない)。そして一番の理由は、トゥットゥのために私たち親が死ぬときに、幼い頃の思い出を共有できる仲間を作ってあげたいと思ったことだった。

一人っ子であれば思う存分お金と時間をかけられて、私たちが生きている間にそれなりのものを享受させてやることができるだろう。お互い高齢での出産である。兄弟のデメリットも十分に検討した。ただ私たち自身、幸いなことに兄弟のメリットを享受していた。それは親のいい思い出もどうしようもない思い出も、笑いながら、泣きながら共有できること。親が死んでしまった時にそれを語りかける仲間がいない寂しさを想像すると、やはり兄弟を作ってやりたいと思ったのだ。

私は40歳にして、ごく自然に妊娠した。義妹のユキちゃんに妊娠を告げると

「40で自然妊娠するんだ…!おめでとう!!」

と驚きを持ってお祝いの言葉を伝えられた。ユキちゃんは前職の関係上、真にセレブの友人がおり、彼女たちが両家の潤沢な資金をもって不妊治療に励んでいるのを目の当たりにしていたというので、驚くのも無理ではない。

自分も40歳まで普通にチャレンジして、40を越えたらこの件に関してもう一度ジェイジェイと膝を交えて話そうと思っていた。そして私が40歳の誕生日、2015年10月10日、その日に妊娠検査薬で自分の妊娠を確認した。トゥットゥを授かった以上に「やった。」と拳を握った瞬間だった。





お遊戯会にはジェイジェイが会社を休んで、トゥットゥの勇姿を見に行ってくれることになった。1週間も前から

「お母さんは病院でお遊戯会には行けないから、お父さんが見に行くよ。」

と伝えていたのだが、当の本人はわかっているんだか、わかっていないんだか、聞き流していた。事前にどんなことをやるのか知りたくて私たちは夫婦で娘にさぐりを入れた。

「トゥットゥ、『はらぺこあおむし』でなにやるの?」
「○○くんと□□くんはあおむしでね。△△ちゃんはいちご。」
「いや、他人はいい。トゥットゥは何をやるの?」
「…チョコレートケーキ。」
「チョコレートケーキ? どうやってやるの?」

と興奮して聞いてみるものの、まったく要領を得ない。呪文のように、

「チョッコレートケーキとアイスクリーム、ピクルスっチーズとサーラーミー♪」

と歌を歌うだけだった。トゥットゥは歌はよく覚えていたが、こんな滑舌が求められるフレーズを2歳児みんなで歌うとはとうてい思えない。ましてやトゥットゥ一人にその重責が与えられているとも思えない。おそらく歌を流しながら何かをやるのだろう。(下記動画参照)




その証拠に保育園の迎えであるお母さんに声をかけられた。

「トゥットゥちゃんは『はらぺこあおむし』で何をやるんですか?」
「それがちっとも要領を得なくて。」
「うちの子は『すもも』だそうなんです。歌ってくれますよ。」

やはり何かの役を割り当てられているのだ。

そしてお遊戯会の前日。保育絵にお迎えに行った際に壁に貼られている進行表を見た。2歳児の「はらぺこあおむし」もあった。そこには月曜日から金曜日まで曜日がかかれており、4名から5名の子の名前が割り当てられていた。例のすももの子は、本当に水曜日のすももチームだった。トゥットゥは金曜日のオレンジチームだった。

「トゥットゥちゃんは『金曜日、金曜日、オレンジを5つ食べました』って言いながら、5本指を出す役なんです。」

ようやくトゥットゥが何をやるのか先生から情報を仕入れたのだった。その情報を元にかまをかけてみたものの、彼女は最後まで自分がやることを私たち親には教えようとしなかった。

運動会のこともある。まだ見ぬお遊戯会の様子が頭をよぎる…





お遊戯会当日。私はトゥットゥを保育園に送っていき、その足で大病院に向かった。トゥットゥの時にお世話になって以来、約2年半ぶりの病院だ。再診や支払い手続きが機械化されているが、それ以外は何も変わっていなかった。待合室で血圧測定・体重測定・採尿。結果を母子手帳に挟んで提出の手続きも一緒。ただ先生は当時お世話になった先生たちではなく、知らない名前が診察室の担当の壁にかかっていた。

自分が呼ばれてドキドキしながら診察室に入ると、優しそうな同い年くらいの先生がいた。ところがこの先生、本院のほうからヘルプできた先生らしく、看護師にいろいろとアドバイスをもらいながらのパソコン操作に手間取った。私が紹介状を持った妊婦であることもよくわかっていないようだった。ようやく要領を得たところで問診。特に問題なし。

経膣エコーによる確認では、右に左に寝返りを打ちながら手を大きく振る活発に動き回る子を見ることが出来た。お腹時代のトゥットゥとは大違い(エコーでは眠っているときだったようでほとんど動かなかった)。その後再び診察室によばれると、先生の机に置かれた手の下には出生前診断(クアトロテスト)のパンフレットがあった。

「出生前診断については何か聞かれましたか?」
「前回の妊娠時に聞きました。羊水検査とかですよね。」
「そうです。」
「ただ今回も私は実施するつもりはありません。」
「わかりました。」

それだけ言うと先生はパンフレットを後ろにそっと隠した。出生前診断と障害児についてはまた機会があればこのブログでも書こうと思うが、今回の妊娠ではどんな子でもまずはこの世に送り出してやろうと覚悟していたので、不要だった。

こうして大病院の初診察は終わった。





病院からの帰り道、ジェイジェイにメールを入れた。

「お腹の子供は元気でした。ところでトゥットゥはどうだった?」

すぐにメールが帰ってきた。

「いつもらしいトゥットゥの動きでした。」

いつもらしい? 家や保育園の帰りに見せるお調子者の変な動きだろうか。いや、大勢の人の前でそれはない。おそらく緊張で最初は動かず、後でエンジンがかかるパターンだろう。

家に帰ると、お遊戯会の終えたジェイジェイとトゥットゥが待っていてくれた。そしてすぐにトゥットゥのお遊戯の動画を見せてくれた。

やはりあの歌に合わせて歌ったり、セリフを言うのだ。トゥットゥの番がやってきた。穴の開いたオレンジのゲートから、緑の衣装を着た子供達が肩に手をかけて縦列で登場。9月生まれのAちゃんを先頭に、12月生まれのBくん、2月生まれのトゥットゥ、3月生まれのCくん。そして前を向き例のセリフ。

『金曜日、金曜日、オレンジを5つ食べました』

さすがに先頭の9月生まれのKちゃんのはきはきした声と動き、他の子は引きずられるように動作をしていた。なるほど、月齢の低い子たちを率いるにはAちゃんのようなリーダー、しかも利発な女の子が必要なのだ。肝心のトゥットゥはというと…目の焦点がどこにも合っておらず、口も手も微動だにせず。緊張しているのがよくわかる。

月曜日から金曜日に登場した子供達は自分の出番が終わるステージ後部へ下がって座って待機。そして舞台に揃った子供達は再び立ち上がって、流れてくる音楽にあわせて歌を歌い始めた。

トゥットゥが何度も家で口ずさんでいた

『チョッコレートケーキとアイスクリーム、ピクルスっチーズとサーラーミー♪』

のフレーズでは、私は目を皿のようにして動画を見たが、やはりトゥットゥ、微動だにせず。ここまで来ると笑いがこみ上げてくる。

そして歌が終わると最後に子供達全員で大声で言った。

『あおむしは蝶々になりましたー!』

羽ばたく動作をして退場~。この時だ。トゥットゥはセリフをはっきり言い、ものすごく伸び伸びした動作で羽ばたく真似をした。そして元気に退場していった。

ジェイジェイが

「ね、トゥットゥは期待を裏切らない動きでしょ。」

と言った時点で思い切り笑った。トゥットゥは何がおかしいのかわからないようだったが、私が自分の動画を見ているとわかって、いろいろと説明をしてくれた。それだけ状況が理解できているんだったら、どうして本番…と思ったが、それが彼女らしいところ。

頑張ったトゥットゥへのご褒美ということで、私が買ってきたケーキを皆で食べた。幸せな一日だった。