大学から東京(正確には関東首都圏)に出てきて実に20年以上も経つわけで、すでに山口で過ごすよりも長い間、東京で過ごすことになってしまった。何も考えずに1年~1年半に1回は実家に帰ってきたわけだが、30歳を越えたあたりから、親の寿命と帰る回数を考えると、親に会えるのはあと何回か…とリミットを考え始めるようになってきた。
デコ母は基本健康で多趣味なので楽しく元気に長生きしてくれそうではあるが、ロミ父は仕事一筋でいまだに喫煙者。仕事を辞めたらぽっくり行ってしまうんじゃないか。男性の平均寿命よりも短そうだぞなんて考えたら、あと20回もないんじゃないか、なんて当時の自分は縁起でもないことを考えてしまった。私が子どもを産んでからはなおさらで、ロミ父は孫とはあと何回会えるんだと考えると、年に一度は帰らなければと強く思うようになった。
子どもを連れて新幹線で片道5時間半は体力的にきつい。そして繁忙期の飛行機利用は経済的にきつい。そしてジェイジェイの父親は亡くなっていて、且つジェイジェイは長男のために彼岸とお盆は仏事でつぶれてしまう。従って一年で使える連休は限られてくるのであった。1年の休暇の計画を立てる4月頃、今年も去年に引き続き、季節のよい11月の勤労感謝の日の連休にしよう。しかし以外な鶴の一声でその計画は流れた。
「たまには違う季節に返ってらっしゃいよ。」
デコ母である。確かにトゥットゥは生まれてからというもの毎年11月に山口に帰っている。孫の違う装備(洋服)姿が見たいとか、孫に違う季節の田舎を体験させてあげたいが祖母心なのだろう。
結局、今年は1月成人の日の連休にした。外因で決められたようなものだが、結果としてこれが功を奏した。というのも、これを決めた4月はもちろん第二子の妊娠はしておらず、11月に山口行きを決めていたら、いわゆる妊娠初期の流産不安と悪阻で安心した旅にならなかったはずである。デコ母、さすがというべきか。
★
1月9日(土)の飛行機で山口に帰省し、16日の飛行機で東京に帰った。約1週間の滞在。妹のヤマナちゃんも同時期に帰省。日曜日はトゥットゥを連れて徳山動物園に行き、翌日月曜日はトゥットゥも一緒に呉に行き海上自衛隊の艦船ツアーに参加したり大和ミュージアムを見たりし、火曜日は夫婦だけで広島市街を回ってデート気分を楽しんだ。
水曜日にはジェイジェイはジェイジェイは仕事の都合で先に東京に帰った。身重な状態の私だけでトゥットゥを飛行機で帰ることは難しいと考え、あらかじめデコ母に東京行きの付き添いを頼んでいた。このように専業主婦、且つ活動的なデコ母は機動力があり、これまでも何度か単独で東京に来てもらっていた。
問題はロミ父である。古希を前にして現役で経営者として働いているためよほどのことがない限り東京には来られない(前回はヤマナちゃん結婚式)。よって今回のように帰省が貴重なトゥットゥとの接点となる。ところが今年に限ってタイミングが悪かったようで、ロミ父は年度末に向けての仕事でとても忙しそうで、トゥットゥにゆっくり構ってもらう暇がなかった。
だからこそトゥットゥが短い時間でいかに親密に祖父母と交流するかが大切だと心構えをして帰省したのだが、いかんなく従来の気難しさや人見知りっぷりが発揮され、これにはどうにも参ってしまった。トゥットゥが1歳誕生日頃、こんな様子を見たデコ母に「都会の子」とチクリと言われて腹を立てた覚えがあるが、もう気質なんですよ、これと開き直るしかなかった。
例えば、トゥットゥはおばあちゃんのデコ母とは手をつなごうとせず、必ず母親の私の手を取ろうとする。デコ母が食事の補助をしようとすると手で払いのける。風呂上がりにデコ母が保湿クリームを塗ってあげようとしてとして「自分で塗るの〜!」と10分近く泣き続ける。デコ母はショックだったに違いない。トゥットゥは祖父母との交流に、嫌がるわけではないものの、どこかおっかなびっくりな感じがあり、積極的に愛想よくするわけではなかった。
実はこの傾向は会う頻度の高いサチ母に対しても発揮されていた。11月に私が不在の折、サチ母と大宮のテッパクに行った際、待ち合わせをした駅でジェイジェイの後ろに隠れてしまい、その後もサチ母とは手をつなごうとしなかったらしい。その時サチ母は「まあ!可愛くない!!」と叫んだとかで、私はトゥットゥに対し「おいおいお母さん(嫁)の立場も考えてくれよ!」と祈るような気持ちで話を聞いた。引き続き12月のアンパンマンミュージアムの時もサチ母とはなかなか手をつなごうとしなかった。
ただヤマナちゃんだけは、東京でいくらか遊んでもらっていて、積極的に子供の遊びに付き合ってくれる気のいいお姉さん(正確には叔母さん)という認識があるのか、「ヤマナちゃん、ヤマナちゃん」と言って慕った。保育園の別のクラスの先生と同じ感覚なのかもしれないな。
言葉もほぼわかり、社会性が出てきて、たまに会う親切な祖父母にどのように接すればよいのか戸惑ってしまう。そういう時期なのかもしれない。デコ母にはそのように説明した。わかってくれるといいのだけれど。
★
トゥットゥの態度は、私にとって義母であればひたすら恐縮するが、実母であれば気を遣わなくて済むかといえばそうでもなくて、自分に連なる者としてより可哀想というか、もっと身を切られるような思いで申し訳ないと思うのであった。
かといってこの年からトゥットゥに空気を読めというのも酷な話だし、物怖じしない屈託ない性格になれというのも無理な話である。
結局彼女への期待は、私への評価への期待である。お遊戯会のときは彼女の気質を好ましく見たのに、親の期待なんて揺らいで勝手なものだなあと反省したのであった。やはり個性として受け入れて、周囲にも理解を求めるのが親としての務めかと思い直した帰省であった。