2016年1月3日日曜日

胃腸炎、お葬式、そして脱臼

12月27日(土)、サチ母より電話がかかってきた。老人ホームに入っていたジェイジェイの父方の祖母がなくなったそうだ。100歳越え。大往生である。

私は一度も会ったことがなかった。なぜなら私たちが結婚した2012年4月、一族の長男であったジェイジェイのお父さんは既に病気で他界していたこと、ジェイジェイ自体が再婚であること、そしておばあちゃんは既に痴呆が始まっていて嫁であるサチ母の顔もわからなくなっていたとのこと、以上の理由から直接挨拶に伺うことはなく、書面でのみの報告とさせてもらった。

話に聞くところによると、実に顔立ちの美しい愛嬌のあるおばあちゃんだったようで、老人ホームでは人気者だったそうだ。年末の忙しい時期にごめんなさいねとサチ母はひたすら恐縮しつつ、お通夜、告別式の日、香典の包む額などが決まったらまた電話すると言って電話をきった。

さてそうなると問題になるのはトゥットゥのお葬式参加である。まず黒い服がない。28日(日)に急いで黒い服を探しにいつもの池袋西武百貨店に行くも、黒いおフランス製ワンピース1着18000円也~。もちろん買えない。せめて灰色のワンピースくらいあっても…と期待した無印良品に行くも、ボーダーの余計な柄が入っていてアウト。東武のユニクロに行くももちろんアウト。嗚呼、服がない!まったく期待せずに入ったGAP(女の子服はラブリーテイスト、男の子はアメカジ一色だから)で、まさかの半額でオールブラックワンピースを発見。ただし110cm…。93cmのトゥットゥには大きすぎる。しかし四の五の言ってられない状況でそれを手にして帰った。奇跡といわねばなるまい。





お通夜は30日だった。サチ母の家にてまず合流し、皆でお通夜に向かう手はずだった。そしてジェイジェイは受付をお願いされていた。ところがである。彼はその日の午後よりまさかのウイルス性胃腸炎に罹患。電車に乗ってサチ母のところに向かう途中から気持ちが悪いとは行っていたが、到着してからは上に下にと大変で、それどころではなくなった。サチ母は出発前に電話でそのことを親族の方に告げると、飲食店商売をしている親族が複数いるため「来るな!」と言われたらしい。かくして身重の私、幼いトゥットゥ、病気のジェイジェイはサチ母宅でお留守番した。

翌31日の告別式のみ参加することになった。電車を乗り継いで告別式の行われる会場入り。駅前ではサチ母の姉妹も駆けつけてくれて合流。サチ母三姉妹は美人で三人揃うと迫力がある。しかも喪服(フォーマル)であるためなおさらだ。ここで初めてトゥットゥはサチ母の三番目の妹さんに会うことになった。

「トゥットゥちゃん。はじめまして。可愛い~!おばさんと手を繋ごう!」

と誘ってもらうも、警戒心の強いトゥットゥは挨拶もそこそこに私の後ろに回ってしまった。私は娘が人見知りであることを詫びる。

会場に着くと、私自身初対面であるジェイジェイの叔父、叔母、従兄弟衆にご挨拶。従兄弟のお子さんにはトゥットゥと同じくらいの子が2人いた。さりげなく服を見ると黒い服ではなく地味目な普段着で着ていた。急なお葬式だったのでやはり用意が難しかったのだろう。それに黒い服を買ったとしても来年には着れなくなるのだ。トゥットゥも普段着でよかったのかもしれない。

さて告別式。トゥットゥは仏事・神事には強いことが実証されているため(5月の成田山護摩焚11月の七五三)さほど心配していなかったが、やはりおとなしくじっとお経に耳を傾けていてくれた。お焼香も「トゥットゥがやる!」と言って見よう見まねでやってくれた。

しかしさすがに2歳10ヶ月。30分経つと

「もう終わった?」

と無邪気に大きな声で聞いてくるではないか。これには苦笑してしまった。その後も何度も聞き、ジェイジェイに抱っこを求めたり、私に抱っこを求めたり、暴れ放題。仕方なくトゥットゥを連れて、外の控え室へ。すでにジェイジェイの従兄弟とそのお子さんたちがそこで遊びながら待っていた。トゥットゥが一番持ちこたえたということか。そこでおやつを食べさせたり、お絵かきをしたりして気がまぎれるのを待っていると、係りの人が初七日のお焼香があると声をかけにきてくれた。最近では告別式と初七日を同日にやるのね

そして出棺。皆で棺におばあちゃんの大切にしていたものや花を敷き詰める。その時初めてお顔を見たのだが、本当に眠っているようで、鼻筋にすらりとした美しいおばあちゃんだった。さぞ若い頃は美人だったのだろう。ジェイジェイが一昔前の映画スタアのように目鼻立ちがはっきりしているのは、サチ母の遺伝だけではないのだろうなと思った。

ほかの幼い子たちは亡骸を見て何かを感じとったのか怖がって泣いて近寄ろうともしなかったが、トゥットゥはジェイジェイに抱っこしてもらいながらお花を添える作業をせっせと行っていた。よく保育園の話を聞くと、「やさしいおばけ」こと「あまだくんとかつたさん」という架空のお友達の話をするのだが、保育園の隣は寺と墓場あるため、実際見えているのかもしれない。精神世界に強いトゥットゥだと改めて感じた。





火葬、精進落とし、お骨上げも終り、無事帰宅。ほっとしながら家で遊んでいると事件が起こった。19時頃、私が両手を挙げたトゥットゥの手をひっぱって持ち上げる遊びをしていたところ、トゥットゥが突然

「いたいーーーー!」

と泣き始めた。両手を掴んで持ち上げた後、ソファーに横付けでぼーんとお尻から着地させただけなのだが…。いつもの大げさだろうと思って軽くいなしていたら、どうも本当に痛いらしい。腕を触るときの痛がり方、泣き方がいつもと違うのだ。筋でも痛めたか?

「明日にでも直ってますよ。」と言ったものの、サチ母はすぐにお世話になっている接骨院の先生に電話をかけてくれた。様子を伝えると三角巾をして待てという。今出先なので、帰宅したら電話するとのことだった。エミィさんが自宅に置いていったエルメスのスカーフを三角巾代わりにして待つこと約1時間半。先生から電話があり、ベビーカーに乗せて徒歩10分の接骨院まで連れていった。

現れたのは子ども好きのする優しそうなおじいちゃん先生で、トゥットゥの腕を触るなり、

「ありゃー、ひじが脱臼しているね。」

まさにそのセリフの最中にトゥットゥの腕を手にとって、くるくるくると3回回して、

「はい、入ったよ。」

と直してしまったのだった。トゥットゥは泣く間もなくキョトーンとしていた。そして腕が治ったことを確信したのか、すぐに先生に

「ありがとうございました。」

と進んで言ったのである。私だったらお正月が明けるまで放置していたかもしれないと思ったら、怪我をさせたのもあわせて、急に母親失格だと恥じ入る気持ちになった。サチ母と接骨院の先生に感謝である。

こうしてあわただしく年末は過ぎた。これはもしかすると2016年に起こる何か前触れなのかもしれない。