昨日、中国人のMさんと知り合いになった話を書いた。
「ジャッキーさん、今年は申年だからしゅ産するの?」
「??? 申年はいいの?」
「はい。中国では申年の子、賢い、魅力的と言われます。私は妊娠は予定外でしたが、未年でなくてよかったです。」
「??? 未年は悪いの?」
「はい。中国では未年、あまりよくない。だから今年は出産ラッシュね。私の知てるママ、5人とも妊婦。」
「日本だと丙午(ひのえうま)みたいね。特に女の子がよくない。十干十二支ってわかるかな。60年に一度やってくる年でね。1967年がちょうど丙午で、出生率が落ちたのよ。」
「へえ、ひのえうま。60年に一度、女の子、よくない。覚えておきます。」
お互いの国の文化風習を教え合った。家に帰って中国における未年の出産について調べてみると、Mさんの言ったとおりであった。どうやら清朝末期の悪名高い西太后の生まれが未年で、そこから未年はよくないということになったらしい。デマの一種である。日本の丙午も元は江戸時代の八百屋お七からだと言われているので、風習の誕生のメカニズムなどどの地域も似ているのだなと思った。これって民俗学なのかしら。
大概私の知人たちはインテリが多く話が面白いが、久しぶりに気負わずに素で面白い会話だと思えた。これが異文化コミュニケーションの面白さなのだろう。
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ちょうどお互い妊娠30週の健診(4/7)の時だった。お腹の子の性別がわかる待望の腹部エコーがある日だった。Mさんは女の子を望んでいた。
「上はお兄ちゃん。もう男の子いらない。女の子欲しい。わたし、女の子の洋服、たくさん揃えた。兄や妹から、女の子の服、お下がりもらったよ。」
「Mさん、兄や妹って言ったけれど、中国の一人っ子政策はどうなっているの?」
「一人っ子政策、昭和54年からね。わたし、ぎりぎりセーフ。妹は双子の妹ね。」
昭和で答えてくれるあたり、ますますMさんの勤勉さにしびれてしまった。
「20週のエコー、教えてくれない先生だったね。メガネの男の先生。」
「私は20週のエコー、女の先生で、教えてくえる先生だったんだけど、赤ちゃんがまっすぐのポーズで、肝心のお股が見えなかったよ。」
「ジャッキーさん、どちがいいの? 男の子? 女の子?」
「どっちでもいいんだけど、うちは上がお姉ちゃんだから、男の子も育ててみたいかな。」
「あー、ジャッキーさんお腹、前に突き出てる。男の子、間違いない。私、お腹横に大きい。女の子、間違いない。」
Mさんは屈託無く笑った。そしてMさんが先に腹部エコーで呼ばれた。男性医師の声だった。
しばらくしてMさんは帰ってきた。残念そうな顔をしていた。
「またメガネの先生だったよ。教えてくれないよ。いぱい聞いたけど、ダメね。
『先生、男の子、女の子教えて!』、言ったけどダメね。
『名前や服の準備があるからお願いします』、言ったけどダメね。
『お下がりたくさん、女の子の洋服準備したよ。着られそう?』、言ったけどダメね。」
その聞き方に脱帽した。1番目はストレート、2番目は理由入りのお願い、3番目なんて会話の中で探りを入れているじゃないか。さすが積極的な中国人。
しかしMさんに教えてもらえなかったのはもしかすると…あの件かもしれない。以前この病院に勤めていたことのある看護師のお母さん友達から聞いた話である。
私の住む下町は、地域柄中国人が多く住み、この病院も多くの中国人妊婦がお世話になっている。私も待合室で待っているとMさん以外にも、中国人妊婦の名前が呼ばれることが多いことに気がついた。その彼女たちは、中国本土の一人っ子政策が影響して、男女がわかったタイミングで堕胎する(死産にする)可能性があるそうなのだ。従って病院として教えない方針を取っているというものだった。
この話を聞いたときは今時そんな話あるんかい、と冗談に思った。20週ならともなく、今は30週である。中国人が理由で教えてくれないなんておかしな話である。
そんなことを考えているとMさんの次に腹部エコーに呼ばれた。日本人である私は臆することなくストレートに「男女を教えてください。」と先生にお願いした。すると、なんとまさにこの理由を言われたのだった。ただし中国人が、というわけではなく、一般論としてだが。
「男女がわかった時点で、その子を望まないと考える人がいないとは言えないでしょ。そもそも日本産婦人科学会がそういう方針なんです。」
かー。そうきたか。
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実は30週エコー日の前の晩、夢を見た。高円宮久子様と和やかに話をする夢だ。その後ろになぜか昭和天皇。すわ、お腹の子の性別は男の子か!と思ったが、いや高円宮家は女の子3人だろうに。というわけで、女の子という読みが優勢である。
そして私は授かった時点で、なんとなく女の子だろうと思っていた。理由は二つあった。トゥットゥがしきりと「いもうとちゃんがほしい」と言うからだ。そしてもう一つはジェイジェイの女系家族問題だ。
サチ母の家は代々女系で婿を取っている旧家であった。サチ母自身、長女で跡取り娘なのだ。そこにジェイジェイというプリンスが生まれたものだから、いろんな条件さえ合えば、彼がこの旧家を継ぐことになっていたかもしれないのだ。諸事情でそれはないのだけれど。この話を聞いて、いろいろなご先祖様からの巡り合わせがあるのだけれど、母方の家系のほうが強いなと直感的に思った。ということは、必然的に私たちの子は姉妹なのだろうと。
ただ私の希望として、どちらかというと男の子がよかった。理由は三つ。一つ目は単純に育児バリエーションがほしいということ。自分の好奇心や楽しみのためだ。二つ目は跡取りの問題。女の子は母親にとって自分を投影しがちである。私も例外ではない。ただでさえ男性が作ったルールでできた社会、女性は不利にできている。そのため、なるべく社会的制約をなくし(ここでは「家」、日本では特に条件なければ長男に家督が譲られる)、トゥットゥに社会で活躍してほしいという希望がある。三つ目はは姉妹の子育ては私にとって難易度が高いため、下げたいということである。
とくに三つ目が一番大きい。私は女であるから、女の習性をある程度知っている。女は自分と似たレベルの他者と比較をして、居場所(他者からの愛情)を見定める。人は人、自分は自分という思考になりにくいのだ。当然姉妹でも互いに「似たレベルの他者」と認識するだろう。なんといっても血が繋がっている。圧倒的な能力差、環境差にはなりにくい。そうなると、親として愛情に差があるわけでもないのに、状況によっては差をつけざるを得ない場面が出てくる。たとえばわかりやすいところで一人に割く時間。そうすると片方が僻むのが目に見えている。女の子における平等、これ、本当に難しいのである。
とくにトゥットゥは今まで育ててきた感じだと、彼女は決して内向的というわけではないが、愛情受容体がかなり繊細にできていて、姉妹の平等コントロールを難しく感じるのだ。彼女を特別視しないといけない何か、プレッシャーのようなものを親として感じるのである。彼女の希望を満たすには、おそらく弟のほうがスムーズにいくのではないか。そう感じる次第である。
トゥットゥは保育園で男の子のお友達とよく遊ぶせいか、彼女の会話には「ジュウオウジャー」やら「仮面ライダーゴースト」など、特撮モノヒーローの名前が出てくる。トゥットゥ自身もなにやら妙なポーズを取って「へんしん!」と叫んでいる。その影響だろうか。三月に入って、お腹の赤ちゃんは弟か妹かどちらかと聞くと
「あかいふくをきたおとうとちゃん」
と答えるようになった。もしや弟なのか? 私は少しだけ男の子の気分が盛り上がってきた。ジェイジェイはトゥットゥのときに「優太郎」と名前をつけて男の子を期待したものの外れてがっかりした経緯があるので(ただ今ではトゥットゥと接するたびに「女の子でよかった~」と溶けている毎日だが…)、この手の期待には乗らないことにしているらしい。
まあいずれの性別にしろ、それが神様から与えられた私たち親の負う子育ての運命なのだろう。さあ、性別や、いかに?