2016年4月24日日曜日

前置胎盤1

妊娠検査薬で妊娠がわかった妊娠6週の時点で、トゥットゥの分娩でお世話になった地域の周産期医療センターにかかろうと思った。出産難民にならないように早めに分娩予約をしておきたかったからだ。しかし予約の電話をかけると、紹介状がないと初診料5400円が取られるため、紹介状を持ってきたほうが懐に優しく(とはいえ3000円程度取られるのだけれど)、且つ予約が確実だと言われた。


妊娠12週(12/3)から紹介状をもって無事転院した。「よいお産を!」と紹介状を持って送り出されて、大病院での最初の健診の日。経膣エコー(いわゆる赤ちゃんの出口にエコー棒をつっこむ)は少し長いなと感じた。初回だから長いのだろうと思った。

今思えば、この時、臨時でこられた本院の先生だったため、分院のこの病院のシステムに慣れておらず不慣れ、私も3年ぶりの来院で不慣れとあって、この最初のもたつきが、これから私の身の上にやってくる何かを暗示していたのかもしれない。

15週の健診(12/24)では違う先生が健診を担当した。

「まだ妊娠初期ですからね。もう少しお腹が大きくなったら胎盤の位置がはっきりわかりますからね。」

なぜここで胎盤の話が出てくるのだ? トゥットゥの時は一度も胎盤の位置などの話は出てこなかったし、私自身も前回も今回も考えたこともなかった。何の話をしているのだろう。とにかくもう少し大きくならないと所見が定まらないということなのだろう。それだけを心に留めた。

19週の健診(1/21)。この時、初めての腹部エコーがあった。この病院では20週、30週、36週で腹部エコーが行われる。ここで胎児の大きさ、重さ、臓器や四肢の形成、先天性の異常などが確認されることになる。そして私たち妊婦にとっての楽しみ、性別の判定だ。しかしエコーに写った赤ちゃんは直立不動の姿で股を見せてくれることはなく、「残念ですが、今日は性別がわかりませんでした。でも赤ちゃんは順調ですよ。」とだけ伝えられた。

そしてその後の診察室で別の男性医師から思いがけないことを告げられた。

「前置胎盤です。」

ああ、なにかしら病名がついている。15週の先生の溜めはこれだったのか。

先生によると通常胎盤は子宮上部にあるそうなのだが、私の場合は下部にあり、胎盤が子宮口を覆っているという。胎盤とは母体と赤ちゃんの血液をやり取りするところなので、出産までに子宮口が開いてしまうと、大出血となってしまい、母子ともに命が危ないという。ただ大抵は赤ちゃんが大きくなるにつれて子宮が膨らみ、それにともない胎盤の位置が上に上がっていくという。胎盤の縁が子宮口から2cm以上離れれば問題なし。つまり自然分娩OKとなる。

前置胎盤か否かの最終判断は30週あたりで行われ、この時前置胎盤と診断された場合、管理入院となり、最終的には帝王切開になると説明を受けた。私の場合は現時点では子宮口もしっかり締まっており、経膣の長さもある。よって今すぐどうこうではないらしい。よって30週までは通常どおり通院しながらの経過観察となった。

「これからの過ごし方で治ったりするのですか。」
「いえ、こればかりは神頼みです。」

医師の口から神様の名前が出てくるとは思わなかった。私は思わず笑ってしまった。そうか神頼みか。

私は早速この健診が終わると、いつもお世話になっている神社に直行した。どうか安産でありますように。そこで引いたおみくじは「大吉 おもいのままになる」とあった。私は信じた。おそらく前置胎盤は治るだろう。楽観的な気持ちになった。




そうは言っても私も社会人としてリスク回避の手は打っておかなければならない。

30週というと丁度4月だ。情報システム部に所属する私の仕事は組織変更で最も忙しい時期となる。ここでいきなり抜けるということがあってはまずい。私は3月上旬のミーティングでメンバーに管理入院の可能性を告げ、早速引き継ぎに取り掛かった。机の私物の片付けも始めた。3月の末にはすっかり会社を辞める人のようなPC以外なにもない机上になってしまった。

そして産休に入ったら腰を据えてやろうと思っていた第二子を迎えるための準備も仕事の引き継ぎと同時に始めた。性別はわからないままであるが、トゥットゥの赤ちゃん時代の布団やお下がりの洗濯したり、Amazonのネットショッピングを駆使して、3月下旬には終わらせた。

管理入院ではお世話になるであろうサチ母、デコ母、近所に住む義妹のユキちゃん、新婚でまだ子供がいないため動きやすいヤマナちゃんに根回しもした。

さあ、いつでもこい!

気張った私の管理入院への準備に反して、前置胎盤の経過は順調だった。23週(2/18)、26週(3/10)、28週(3/24)と同じ曜日の健診に通ったおかげで、19週で私に「前置胎盤」と診断を下した男性医師に連続して診てもらうことができた。通うたびに「胎盤が少し上に上がってきましたよ。これなら30週の最終判断も大丈夫そうですね。」と言われ、28週には

「低置胎盤です。」

と言われた。

「もう管理入院はないということですか。」
「ええ、いますぐ管理入院ということはありません。ただほんの少しだけ胎盤がかかっているのは気になりますが。胎盤ではなく血管かなあ、少し判断が難しい。」
「前置胎盤気味ということですか?」
「いえ、『気味』ではなく、現時点での所見としては『低置胎盤』です。」

拍子抜けをしてしまった。しかし長期入院となるとお金もかかる。なにより私と離れ離れになってしまうトゥットゥが心配だった。ただでさえ赤ちゃん返りの傾向が見られ、進級による環境変化で精神不安定だというのに。それがなくなるというのだから喜ばしいことではないか。怒涛の入院準備を終わらせた私にとっては、束の間の春であった。




30週の健診(4/7)。年度が変わったため曜日担当の医師も変わった。せっかく赤ちゃんの性別がわかる数少ない腹部エコーの機会だったにもかかわらず、性別を教えないポリシーを持つ先生に当たってしまったのである。予感がする。何か悪い予感がする。

診察室に行くと、腹部エコー担当の先生ではない30代の女性医師がいた。

「低置胎盤か…。前回からこの5mmのひっかかりが移動していないんだよね。辺縁前置胎盤かもしれない。私だけでは判断がつかないから、次回健診は曜日を変更してベテラン医師に診てもらうようにしますね。そこで最終判断します。」

31週の健診(4/18)。15時の予約だったにもかかわらず、診察スタートは17時となった。この大病院での健診のいろんなタイミングの悪さ。これは予兆だと思った。この時点で私の覚悟が決まった。経膣エコー用の診察台に上がると、トゥットゥの時もお世話になったことのある50代の先生だということがわかった。午前中緊急手術があり、押してしまったことを詫びられた。そしてエコーを見るなり、

「もう、これ前置胎盤じゃないの。」

と一言だけ言われた。

診察室では、このベテラン先生から今日からでも入院してほしいと言われたが、無理な話である。トゥットゥを預ける段取り、会社を休職する段取り、家を長期で留守にする段取り、ある程度準備はしていたものの、やらなければならない実務があった。その事情を説明した。

「わかりました。では次週32週、私の朝イチの健診(4/25)を最終判断にします。それまでに入院準備をしてきてください。健診後、そのまま入院となります。」