最近トゥットゥが難しい。今までで一番扱いづらい。魔の二歳児といわれるイヤイヤ期もそれなりにあったものの無難に切り抜け、2月には3歳を迎えた。自分の娘をヨイショするのもなんだが、夜泣きもなく、食べ物の好き嫌いもあまりなく、乳児幼児期通して聞き分けがよく、ほとんど病気もせず、本当に苦労らしい苦労をしらずに子育てができていた。自分は本当にラッキーだと思っていた。
ところがだ。三歳になったあたりから、対応に苦慮することが起こり始めた。
一つ目は「なんで?」病。これは3歳になったから仕方ないこと、誰もが通る道だ。例えば空の月が満ち欠けすることに対し「なんでおつきさまはかたちがちがうの?」は序の口。テレビに映し出される崩れた福島原発を見て「なんでふくしまはばくはつしたの?」 私は頭をかかえた。また一度答えたこともふと思い出したように何度も聞くようになった。ある程度は付き合うが、私に余裕のないときは「それは答えた。もう二度と聞くな!」などと声を荒げることもあった。
二つ目は記憶力と会話の力が複合的に発揮されて、いろんな紛失物を思い出しては無いとごねるようになったこと。正直に白状するとそれらは私が捨てた。それはお菓子のおまけ、ガチャガチャの景品、100円均一の玩具、ノベルティ、パンフレットの類だ。お片付けは2、3歳ではまだまだ難しいことは知っているが、それらが家に溢れかえり、足の踏み場がなくなるとフラストレーションはマックスになった。ええい、捨ててしまえ。
ところがある日「トミカのおりがみはどこにいったの?」と聞く。「どこに行ったんだろうね〜。」のらりくらりかわしていると、「トゥットゥがたいせつにしなかったから!」「あそびたいのに!」「おかあさんさがして!」あげくの果てにはそれを買った場所まで覚えていて、保育園帰りに手を引いてお店の前まで私を連れていき「ここで買ってほしいの!」 私は根負けした。
三つ目は自分の思い通りにならないと真逆のことを言いはじめたり、不可解な行動をとることだ。例えば楽しく遊んでいたことを制限時間で区切られると「〜はやらない。」「〜はいらない。」そして締めは「おかあさん、きらーい。」 これくらいであれば、「あらら、お拗ねちゃんね。」で済ますのだが、その後「トゥットゥはおそとにいくの。」と外に出ようとする。しかし「いいよ、外に出て。」なんて冗談半分で誘導しようものなら、大泣きだ。機嫌はちょっとやそっとでは治らない。
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4月3日(日)、私が風呂上がりに顔の手入れをしていると、トゥットゥはいつものように化粧瓶を家族に見立てて遊びをはじめた。お父さん化粧水瓶に肩車してもらうトゥットゥ美容液瓶。かわいい遊びだなと思いつつも私のお手入れ時間が終わるとタイムオーバー。いつものように「はい、おしまいだよ。」と化粧瓶撤収した。これが気に食わなかったらしい。トゥットゥはその後の下剤入りのジュースの入ったコップを「いらない」と言ってわざと倒した。私は叱った。そして私が後片付けをしている時、彼女はおもむろにズボンとパンツを脱ぎ、お尻を丸出しにした。「何してるの?」「ほいくえんでしかられたらこうするの。」!?
この件について、ジェイジェイは本気で心配した。保育園で本当にこんな罰を受けているんじゃないのか。虐待ではないのか。私はまさかと思いながらも、保育園の迎えの時、担任の先生に聞いてみることにした。
「まさか! そんなことしません。」
「ですよね。虐待になっちゃいますものね。」
この先生は2歳児クラスからの持ち上がりで、トゥットゥの様子をよく知っていた。
「あ、でも、2月あたりから、トゥットゥちゃん、機嫌が悪いっていうか、拗ねているというか、人を試すような言動をするのは気になってました。」
「真逆のことを言うやつですか。」
「そうです。そうです。いっしょにやろうよって誘っても『〜しなーい』って。でも熱心に誘うと仲間に入って楽しく遊ぶんですけどね。」
「そう、確かに最近気に入らないことがあると『お母さんきらーい』」を連呼します。」
「…2月って、ちょうどお父さんの送り開始時期ですよね。それにお母さんのお腹に赤ちゃんがいることがわかったり、進級したりで、丁度トゥットゥちゃんは不安な時期なんではないでしょうか。」
先生の指摘、これで自分の中で符号した。私が身重になったことで1月末から保育園の送りをジェイジェイに変わってもらったのだ。それは私とトゥットゥが触れ合う時間が短くなったことを意味する。そして進級にあたりトイレトレーニングのプレッシャーがあったことだ。私は家でもしきりと「○○組のお姉ちゃんになるんだから。」とトイレでの排泄を促した。実際彼女はほぼ問題なくクリアした。そして「お姉ちゃんになる」は生活のいろんな場面で要求されるようになった。先日このブログで書いたお風呂事件もそうだ。
そうか、私との時間が少なくなったこと、私の態度が私自身知らず知らずのうちに変わったことがストレスになっているのか。
その証拠にお尻丸出し事件の後、月曜日の朝、私はフォローのつもりで、意識的にいつもより優しくゆっくりと接していると、トゥットゥは私にだけこっそり言った。
「ほいくえん、おとうさんとおかあさんとトゥットゥとみんなでいっしょにいけばいいのに。」
なんていじらしいんだろう。しかし自分の負荷を考えると無理だった。だから優しく説得した。
「ごめんね。この後、お母さんは家でお仕事(家事)があるから一緒に行けないの。」
みるみる彼女の表情が曇った。
「…おかあさん、ほうっておこうっと。あっちにいっちゃえ。」
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一億総活躍社会と時の総理大臣が言っているが、こんな働き方でいいのだろうかと思うことがある。働いていて税金を納めていることには誇りを持っているが、子育てについては後ろめたく思うことが多々ある。
一緒に鉛筆を持って字を書いたことなどほとんどない。お絵描きだってじっくりしたことがない。一緒にハサミやノリを持って工作をしたこともない。折り紙も片手間に折ってやるくらいで折り方を教えてやったことはない。おままごともブロック遊びも本気で付き合ってやったことはない。すべて保育園だ。それでいいのか? 私は母に教わったというのに。
トゥットゥと顔を付き合わせる時間は、朝支度10分、朝ご飯10分、保育園迎えの30分、帰ってからのおやつタイム10分(これがないと私が夕飯を作る元気が湧かない…)、夕ご飯の20分、お風呂・寝支度の30分、読み聞かせ、添い寝の30分。計2時間強。この中でゆったりした親子らしい時間は保育園迎え、寝る時くらいだろうか。土日も一週間の仕事の疲れに加え、掃除や洗濯の家事に追われて、娘と何かじっくりということにはならない。せいぜい父親も含めて家族団らんのお出かけをすることが精一杯だ。結果、日常の躾は都度行っていても、能力開発(教育)という意味では何もしていない。
今できることでどうあるべきなのか、ちっともわからない。ただ雇用に流動性ない今の日本社会、それも住居費のかかる東京生活で、子供の 教育費・老後資金を考えると仕事を辞めるという選択肢はありえない。そして子供との時間を考えると郊外に居を構える(通勤時間往復2−3時間)という選択肢もありえない。その条件の中で親も子も一生懸命である。とりあえず教育は後回しだ。いつか持つであろう彼女の興味にお金とその時ある時間で応えてあげればいい。彼女の気持ちが歪まないように、それだけを願って今はがんばろうと思う。