2016年6月18日土曜日

帝王切開3(術後)

5月下旬某日。私の帝王切開手術が行われ、無事男の子が生まれた。現在は退院して育児に勤しんでいる。これはその時を思い出して記録したものである。(Part3)

朝9時にスタートした帝王切開の手術が11時半頃に終わり、立会いの家族が帰った後、一人ベッドに寝かされてぼんやり窓の方を見た。帰ってきた時のためにわざと窓を少しだけ開けていた。天気はすごぶるよく、窓から入る風は気持ちいい。手術は成功したのだ。安堵した。

しかし安堵した気持ちは長くは続かなかった。

13時半。9時過ぎに打った麻酔は切れ始めた。下腹部がじんわりと痛くなる。そうしていると凄まじい悪寒が襲ってきた。体温38度。熱が出ていたのだ。風が気持ちいいどころではない。一時間に一回容態チェック(体温、血圧測定、血栓チェックの心音確認、子宮収縮の確認)にやって来る看護師に窓を閉めてもらった。どうりで部屋に戻ってきたらすぐに電気毛布を掛けられたわけだ。

「高熱は手術後の体の正常な反応ですから大丈夫ですよ。」

と励まされた。

15時頃、主治医がやってきた。術後の様子を見に来てくれたのだ。あの可愛い笑顔が見れて少しほっとした。ところが主治医の口から出た言葉は私を更に不安にさせた。

「血液検査部から連絡がありまして、ジャッキーさんは播種性血管内凝固症候群(DIC)になっているようです。今、血栓ができやすい状態です。今から血液製剤を使います。ただ子宮からの出血が思ったよりも多く、現在、子宮にバルーンを入れて圧で止血しています。血液製剤を使うことでまた血液中の凝固バランスが崩れて、子宮から出血してしまうかもしれません。様子を見て出血が多い場合は輸血を開始します。」

え、え? 血液製剤? 輸血?? あー、二万分の一だっけ? B型肝炎やらAIDSのリスク。真っ先に手術前の説明が蘇った。DICで血栓が肺に詰まって死ぬよりはマシだ。いやあ、術後は痛みに耐えればいいだけかと思っていたが、それ以外に体も色々と大変なんだなとここで考えを改めた。私は熱で弱っていたものの、自分の体のためにも奮い起つような気持ちで

「はい、わかりました。お願いします。」

と伝えた。

16時頃、悪寒は収まり、今度は熱の火照りや汗をかく体のべたつきが気になり始めた。局所の痛みはどうなのかというと、痛み止めの点滴が14時半頃から開始されておかげで痛くないのだが、全身がとにかくだるい。そして血栓予防のためのふくらはぎを揉む機械の感触と音がひたすら気持ち悪い。体についている各種管(左の一般点滴、右の輸血用点滴、下の尿管カテーテル、子宮のバルーン)の、このなんとも言えない不快に耐えなければならなかった。

帝王切開の術後の大変さは覚悟していたこととはいえ、自然分娩の終了後の大仕事をやりきった心地よい疲れとは明らかに違う、身体からくるメンタルの淀んだ疲れ。身体も精神も健康な私が体験したことのない暗い闇の底に置いて行かれた感じだったのである





18時半頃、若い助産師に抱かれて赤ちゃんがやってきた。手術後初めて会う赤ちゃんだ。感動の面会となるべきなのだろうが、思った以上に体力、気力を消耗しているしているらしい。何か気の利いたことをを伝えたかったのだが、言葉が浮かんでこなかった。

私は思った。自然分娩との決定的な違い。自然分娩のトゥットゥの時は、陣痛誘発剤を入れ始めて約20時間のお産となった。すべてが終わった後はとにかくクタクタだったが、一眠りさせてもらうと、すぐにトゥットゥを新生児室に迎えに行った。あの時の大仕事をした誇らしさと赤ちゃんに会える興奮の入り混じったワクワクと言ったら! 今回は二人目の子だから目新しさがないのだろうか。いいや、違う。帝王切開の諸々のショックが大きすぎて、自分以外に関心を向けることが難しいのだ。うつになったことはなかったが、これが産後うつの前兆なのではないかとさえ思った。

手術後の産婦の様子や扱いなど、助産師は心得ているのだろう。一呼吸置いて私の目を見て優しく言った。

「初乳を赤ちゃんにあげてみましょうか。」
「!?(えええええ!?この切り刻まれた体で授乳ですかい?)」

助産師は私の表情から言わんとしていることを読み取ったようだった。眉をハの字時下げて申し訳なさそうに言った。

「大変かもしれませんが、出産初日におっぱいを吸わせられると、この後おっぱいがスムーズに出ることにつながります。がんばりましょう。」

すいません、と言いながら助産師は私の乳首をぎゅうっと摘んだ。痛っー! そうそう、授乳指導の最初はこれだった。乳首を思いっきりつまむのだった。

「おっぱい、出ます、出ています!」

嬉しそうな助産師の言葉。こんなダメージを負った体でもお母さんになろうとしているんだ。私は他人事のように自分の体に感動した。管だらけでうまく赤ちゃんを抱っこできない私に代わって、助産師が赤ちゃんを私の乳首に近づけて、口に含ませてくれた。

ここで初めて

「私、子供生んだんだ!」

と心から思えた。それまでは帝王切開はどう考えても外科手術以外の何物でもなかったのである。





19時半、14時半に始めた点滴の効果が切れたようだ。全身の不快感に加え、傷が熱く重たく疼くようになった。刀傷を負った療養中の足軽はかくのごときかと思った。検診に来た看護師にお願いをしてもう一本痛み止めの点滴を入れてもらうことにした。

「積極的に痛み止めを使っていってもいいですからね。」

と言われていたため、痛み止めの効果が切れる頃合いを見計らって、看護師の方から声をかけてくれるものだと思ったのだが、こちらから声を上げなければ決して追加はしてくれなさそうな雰囲気だった。痛みへの耐性の個人差、医療費(使った分だけ請求される)など、様々な事情があるため、自己申告制なのだろうと思った。

そうは理解しても、痛み止めが欲しいと言うと、お前の身体はそんなに弱いのかと思われているようで、少し言い出しにくかった。こんな時にも体裁を考えている自分に心の中で苦笑した。

結局即効性のある痛み止めを20時に一本。そしてできるだけ寝たいと思ったので、痛み止めを追加していい最短の時間、0時に眠たくなる痛み止め(麻薬系らしい)を一本。点滴に混ぜてもらう約束を看護師とした。

21時半、別の検診の看護師が、身体の向きを変えると治りが早くなると教えてくれた。30度の角度をつけるといいらしい。そこで掛け布団で角度をつけてくれて背中を持たれさすようにと言われた。

身体の向きは違うのだが、夕方頃からベッドのリクライニングを使って上体を起こし、スマホを見たり、お見舞いに来てくれた会社の先輩が置いていってくれた画集を見たりはしていたので、それくらいはできるだろうと思った。

私は術後初めて自分の力で動いた。

「!!!!!!(い・た・いっ!)」

信じられない痛みが下腹部を襲った。切った、お腹切った後なんだよ、私。この衝撃から、痛み止めを打ったとしても、痛みで深夜何度か起きるのだろうと想像してげんなりした。

22時、そして私は就寝中なるべく起きないように願いながら、眠りについたのであった。
Part4に続く