出産はかなり個人的な話題であるし、一人で心の中に留めておきたい人もいるだろうから、誰彼構わず話すわけにはいかなかったが、私がひっそり望んでいると、自然と地域のママ友や会社のワーキングママと出産の話に及ぶことがあった。話をするにつけ、戦友のようで心が温まった。
ただこの時不思議だと思ったことがあった。帝王切開を体験した女性たちは「私、帝王切開。」とサラっと話を済まされることが多かったのだ。もっと話してくれてもいいのに。私は帝王切開を出産方法の一つとして知りたかったのだ。巷で言う帝王切開の引け目だろうか。同じ命がけの出産なのに!私はどちらが偉いなど考えたこともなかった。むしろ彼女たちも自然分娩と同じく、体験したことがない人に辛さを話しても仕方ないと思っているのかもしれない。そう考える方が合点がいった。
そして私自身が満を持して(?)ゴッシュにより帝王切開体験者となった。やはり体験しなければわからない辛さがあった。ただ私は話したかった。帝王切開という自然分娩以上の武勇伝として(私の体験記はこちら)。現にネットを覗くと帝王切開武勇伝に溢れていた。痛かった、辛かった。そうだよね、そうだよね。私は共感しながら読んだ。しかし私の出会ったあの控えめな女性たちはそう思わなかったということか。能天気な私ではわからない感情があるのか。
帝王切開で産む前に病室であるインターネットの記事を読んで気になっていた漫画があった。「れもん、うむもん」。幸せなはずの出産で幸せとは思えない辛さを正直に綴った作品だという。帝王切開を体験してみてもなお私ではわからない感情のヒントがあるかもしれない。私は退院してまずしたことといえば、Amazonでこの漫画を注文することだった。
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この本を読んで自覚したことがあった。私が恵まれた状況、立場だったということだ。
それは私が第一子を自然分娩で産んでいるということ。
漫画の作者は逆子が治らずに予定帝王切開になった。それが第一子である。やはり世の中の見方「陣痛がないと楽」に影響されて、自分の大変さを大ぴらにできないと悩んだという。
もし私が第一子を帝王切開で産んでいたら、自然分娩の人を前にして、想像で「自分も大変だったけれど、陣痛の方が大変に違いない。」と恐縮しただろう。先にも書いたが、陣痛はどんなに言葉を尽くされても、それくらい想像できない痛みだったのである。私の帝王切開体験記は全て自身の陣痛の大変さとの比較ができたからこそ、ネタとして昇華できたのである。
そして私がインターネットのブログで読んでいた帝王切開の武勇伝のほとんどが第二子以降の出産だった。第一子では帝王切開体験を語るのが遠慮がちだった女性は、実際子育てを通して、どの方法で産んでも子は愛おしく、自分のやりとげたことに誇りが持てるのだろう。そして第二子、第三子も帝王切開で臨まなければならないことから(※)、腹が括れるのだろう。
※ 日本では帝王切開で一度子宮にメスを入れると、次の分娩でも子宮破裂などのリスクを回避するために帝王切開となる。そして子宮に三度のメスを入れること、つまり帝王切開で三人の出産まで許容されている。
第一子を帝王切開で産むという体験をしなければ、彼女が第一子を授かった直後の心細さ、本当の辛さは共感できないと思った。ああ、私が話した控えめな女性たちは皆第一子だったのである。話をする時は気を付けてはいたが、改めて自分の無神経さを恥じた。
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漫画では作者は帝王切開の手術の副作用の頭痛、乳で胸が張って激痛だったことが描かれている。そして授乳室では自分も含め他のお母さんたちも疲弊仕切っており、声をかけるような雰囲気ではなく、孤独だったらしい。
その点私は体の回復は早かった。また経産婦のため授乳がどんなものか知っていた。赤ちゃんの抱っこの具合、赤ちゃんの乳首を含む感じ、乳が張る感じ、乳が足りない感じ。仮に授乳の立ち上がりに手こずっても、ここは授乳指導のプロ(助産師)がいると大船に乗ったつもりだった。第一子トゥットゥの時とはえらい違いだと思った。
実際、私の授乳室デビューは帝王切開の翌々日、点滴台にすがりつきながらゾンビのような足取りで向かった。立つ、捻る、座るの動作は苦しいものの、授乳クッションを膝に置いてゴッシュに授乳するには耐えられない痛みではなかった。そして幸運なことに、体の回復が早く、思った以上にスムーズに授乳できた。
その余裕と生来の性格が相まって、授乳室に入ると、他産婦の点滴台を見ては「帝王切開、大変でしたね。」、手に持ったアイスノンを見ては「お乳が張って大変ですね。」、赤ちゃんを見ては「男の子ですか?」「よく乳は飲んでくれますか?」、と挨拶代わりに声をかけた。特に初産婦の女性2名は見るからに心細そうだったのが、声をかけると嬉しそうに出産体験を話してくれたので、自分も役立ててよかったと思った。そっとしてと思う人もいるかもしれないのでこの限りではないのだが。
声をかけた産婦のうちの一人が経産婦で、第一子の出産後、産後うつになった話をしてくれた。彼女も第一子が帝王切開だった。「れもんうむもん」の子育て編は夫と協力して楽しく育児する様子が描かれており安心するが、もし出産編の気持ちのまま育児に突入するとうつにもなるだろうなと思った。それがまさに彼女の話だったのである。
様々な出産があり、様々な想いを抱いている。他人を思いやるに十分なヒントになった「れもん、うむもん」。これから出産する人はもちろんだが、すでに出産をしたものの気持ちのわだかまりが残っている人にはぜひ読んでもらいたい。経産婦の方は余裕があれば是非、初産婦に声をかけてあげて欲しい。嫌そうならそこで引けばいい。袖振り合うも多生の縁なのだから。