2018年12月1日土曜日

"ぎゅー"しよう

最近トゥットゥがゲップをよくするようになった。運動会明けくらいだろうか。呑気症(どんきしょう)かとも思ったが、いつもの様子からそんなに空気を飲み込んでいる風でもない。あまりに大きなゲップをすることから、

「ゲップはおならといっしょでね、人前でするのは恥ずかしいってことになっている。
 小さいものは手を添えて顔を逸らして下を向いて。
 大きなものはトイレに行ってするのがいいね。」

躾として教えた。

トゥットゥは根が真面目なものだから言いつけは守る。向こうを向いてゲップ、トイレに行ってでゲップ。そのうちトイレに駆け込むことが多くなり、本来の用でトイレに行ったとしても「ゲップをするまでは出てくるものか」と長時間トイレに籠りえずくようにしてまでゲップを出すようになった。強迫観念になっているようである。ゲップは放っておけばおならになるから無理に出さなくても大丈夫だよと言ってみたりしたが、何も変わらなかった。

彼女にとってゲップは出さないとダメだではなく、出さないとやってられないのだ。あー、これはあれか。胸が詰まる感じ、苦しい、ストレス。

そんなにストレスになるようなことはあるのだろうか。一番の山場であった運動会は終わったものの、引き続きお遊戯会の練習だろうか。ピアノの発表会が迫ってきて練習するように細かに言うようになってきたせいだろうか。それとも週1のRISU算数がだんだん難しくなってきたせいだろうか。全体的に要求は厳しくなってきた感じはあったが、これといって決定打はない。

そういえば5月頃にトゥットゥはおしっこが近くなることがあった。外出では10分ごとに行っていたこともあり、病院に連れて行くも原因も特に見当たらなかった。しかし夏を迎える頃には直ったことから、進級のストレスだったのだろうということに落ち着いた。そこでゲップも自然に治るだろうと鷹揚に構えることにした。





それにしてもゲップでトイレ頻度も高くなり、トイレ時間も長くなり、食事中や外出前など日常生活に支障をきたすまでになったので、保育園でも迷惑をかけているかもしれないと思い、主担任の先生に話してみることにした。

「確かにトイレが長いなと思うことはありましたが…」

先生は思い当たるような顔をした。

「実は秋くらいから年長組は小学校入学に向けて準備を始めているんです。お昼寝も無くしているのはご存知かとは思います。」

それだけではないと言う。今まであまり言ってこなかったこと、例えばきちんと黙って話をきくだとか、集合をかけたらすばやく集まるだとか、ハンカチを使って手をふくだとか、細かに厳しく指導するようになったそうなのだ。確かに今まで緩やかった空気が緊張したものになる。子供はそういった空気を敏感に感じ取るのだ。

楽しい幼児期が終わろうとしている。トゥットゥもそれに飲まれたか…。ゲップの原因がわかった気がした。

「私も食事や身支度にのんびり構えた娘の姿に『そんなんじゃ小学校やっていけないよ』なんて煽ることがあります。今まで許されていたのに、最近は家でも保育園でも許されなくなっている。そういうことが積み重なってストレスになっているんですね。反省です。」

そう答えた。するとその流れからか先生が意外な告白を始めた。

「僕だって毎日反省ですよ。今、お遊戯会の練習しているんです。うまくいかないと僕自身声を荒げることもありまして…」

そういえば娘に話を聞くと「先生、怒るよ。けっこうこわいよ」と言っていたっけな。副担任のベテラン女性先生が怒り役なのかと思っていた。柔和そうな先生なので怒ったところが想像できない。

「練習成果を発表すると、他の先生からは『よかったよ』『うまくできてるよ』と声かけてもらうんです。でも子供たちを指導する当事者としてはよいものを作り上げるのに一生懸命になりすぎて、そう言われるまで粗しか見えない状態になってしまっていて。いつも練習の後に言いすぎたと反省、帰りの電車でも反省してるんです。それで罪滅ぼしじゃないですけど、いつもお昼寝前に子供たち一人一人『よくやってるよ』って"ぎゅー"ってやってるんです。」

先生と子供たちの姿が想像できる。いい先生だな。素直にそう思った。





つい先日、トゥットゥが来年度新一年生になるにあたり、学童の面談に行った。子供がメインの面談で、学童の先生2名から対面でいろんな質問を受けた。

トゥットゥはもじもじしながら答える。彼女の特徴なのか、子供特融なのかはわからないが、結論までが長い。思考が駄々洩れのような話し方をする。

「お外ではどんな遊びをするの?」
「…〇〇ちゃんと△△くんと遊んでいると事件がおきて…」
「事件???」
「うん、いろいろ事件。で、追いかけっこをするんだけど、つかまえて…いや、つかまらないほうが多いかな。それでそのまま終わっちゃった。」

こんな調子である。全くお外での遊びという抽象化がわかっておらず、つい最近何をして遊んだかを実況中継してしまう感じだった。

私はお受験でもあるまいし神経質に訂正するほどもないかと彼女の答えるままにさせ、隣で苦笑いした。そのうちトゥットゥは緊張からか私に抱きついてよじ登り始め、私は小声で何度も注意するしかなかった。そんな態度ながらもいろいろと答え切った彼女を見て、学童の先生たちは

「しっかりしたお嬢さんですね」

とほめてくれた。え!?これで???半分上手だろうけれど。

また親の私に何か心配なことはあるかと聞かれ、

「食べる、着るなど生活動作全般がゆっくりで3回くらい言わなければ動作が始まりません。はっと見ると動作が止まっていることがあります。全部で5回くらい声をかける感じです。」

と言うと、学童の先生たちは驚いたように

「まああ、お母さん、それは要求が高いですよ。こちらが言えばきちんと意味がわかってやるのですよね。それで十分ですよ。」

と言った。

年長さんであれば身の回りのことくらいさっさとやれて当たり前だと思っていたのだが、もしかすると全体行動と規律を教える幼稚園だとできるのかもしれないが、保育園の存在意義はそれではない。プレ小学校の位置づけではないのだ。そう考えるとトゥットゥは保育園という与えられた環境の中で彼女なりに大人の期待に応えようとがんばっているのだと思った。他人に言われて気づくものなのだな。

私も保育園の主担任の状況と一緒だったのだ。彼の言葉が頭に浮かんだ。

「だからお母さん、毎日トゥットゥちゃんにぎゅーってやってあげてください。僕らの"ぎゅー"よりもお母さんの"ぎゅー"のほうが何倍も何倍も安心の効果があるんです。」

"ぎゅー"しよう。