急いで皆の昼食を準備し、自身も食べ終えた後、靴を履いた私の足元は靴下にスニーカーだった。お母さんファッションなら当然である。ところがジェイジェイは中目黒に行く私のスニーカー姿にダメ出しをした。「中目黒だよ。この下町じゃないんだよ。ヒールくらいはかないと!」 むう。そういうものか。仕方なくヒールのある靴に履き替えた。恵比寿で知人と待ち合わせをしてワークショップ会場に向かう。明るい春の青空の下、道行く人はみなおしゃれで、ヒールをはいてきてよかったとジェイジェイのアドバイスに感謝した。
実は恵比寿で待ち合わせをしたのは先日会ったお世話になっている元上司Aさんだ。元同僚Mさんの夢の第一歩に付き合わないかと誘われたのだ。Mさんは教育学部を出て、シニアの産業カウンセラーの資格を取り、働く人が幸せに働けるように手助けをしたいという理想を持って仕事に携わってきた方で、私も昔少なからずお世話になった方だ。就職先で必ずしもそれが実現できる環境が与えられたわけではない。それでも理想を捨てず、とうとう自分でワークショップを開くところまでこぎつけたのである。これがめでたくなくてなんと言う。夢の実現の場に立ち会ってなにか福をおすそ分けしていただきたいといった気持ちで、花束とおまんじゅうの差し入れをもっていった。久しぶりに会ったMさんの顔は輝いていた。
計7名。ワークショップでは絵を書くということで私の得意分野ということもあり参加したのだが、その前段階として「自分はどんな人間か20書く」とか「○年後の幸せのイメージを書く」という課題が与えられた。アメリカドラマの「アリー・マイ・ラブ」など見ていると、メンタル面で困ったことがあるとすぐにカウンセラーに自分をさらけだし、分析してもらい、会社人として家庭人としてよりよく生きるアドバイスを受ける、もしくは自身による気付きがもたらせる。しかし私のメンタリティは日本人である。さらけ出すようにはできていない。言葉で表現して伝える断片で自分がわかってたまるかというような変な意地もある。だからいくらMさんでもこのワークショップにきちんと向かい合える自信はなかった。適当に流そうと思っている自分がいた。
しかし当初の目的を思い出そう。「夢の実現の場に立ち会うことで福をおすそ分けしてもらう」ではなかったか。私が夢を実現する=ワークショップを成功させるための一部を担っていると考えるとまじめに取り組まざるを得ない。仕方なく本気を出した。本気で書いた。本気で発表した。人は本気で取り組むと意外な効果が得られるものだということがわかった。
まず「自分はどんな人間か」。「~が好きだ」という成分でできているということだ。世の中には「~が嫌いだ」という成分でできるている人もいるだろうが、それは「~が好きだ」の裏返し、事情あって心がささくれ立った人の姿だ。きっと人の本質は「~が好きだ」、人は善良にできているのだ。このように能天気ではあるが帰納的に考えて少しいい気持ちになった。
そして「○年後の幸せのイメージを書く」。いつもなら夢は実現しそうでないから適当に書いていたところだ。しかし本気の夢を書いた。10年後、どう見ても実現しそうにない。そして講師であるMさんに「そもそも10年後に実現するためのリソースの集め方がわからない。目標の立て方が知りたい。」と言っていた。そうか、自分はパスの描き方がよくわかってないのか。一足飛びに考えるから実現しそうにないと考えているのか。余裕で自己啓発の本にも書かれてありそうなことだが、自分で気付けたことは大きな成果だった。本気は現実を引き寄せる(パスを描く、実行に移す)力を得る重要な要素なのだ。
本題は絵を書くワークショップ。言葉では表現できない自分の今のイメージを書きとめておくもの。言葉では表現できないとMさんも認識しておられるのだ。それだけでも何か共感してもらったような気がした。私のつっぱた心がほぐれるような気がした。下書き公開。