2015年4月24日金曜日

おうちにかえる

3月下旬から4月17日までは本当に仕事が忙しく、気が休まる日がなかった。そうは言っても時短で働いており、残業はできない身であることから、体力的には大丈夫だろうと思っていた。確かに体力的には問題なかった。問題があるのは精神的にだ。

私は会社の情報システム部にいるため、年度変わりには必ずシステムの洗い替え作業に携わることになる。産休・育休に入る数年前から私はこの作業の監督のような立場であり、スケジュールと作業内容を担保する役割だった。ところがあるシステム(複数)の洗い替え作業をするはずだったメンバーが4月1日より異動となり、経費削減のため私が監督兼作業担当者となったのだ。

その上、私が引き継いだAシステムで、歴代担当者が保留にしていた懸案について、他メンバーがここがチャンスとばかりに企画書を持ってきた。「X対応ができることは自分が実証済みなんです。だからずっと担当者にX対応してほしいって言ってきたんですけど、影響が怖くてやらないって。ジャッキーさん、ぜひやってくださいよ。」と言ってきた。企画書を見せてもらうと、洗い替えのタイミングでやらないといつやるのだという作業だった。ただし関係部門調整と今期作業量増大が難易度高。しかし監督していた頃からどうにかならないものかと思っていたところだったので、今後の作業効率を考えて、私が解決することにした。

それで問題になるのが、作業時間の見積もりができないことだった。当たり前だ。全てが初めての作業なのだから。そうこうしていると、このAシステムに関してユーザー部門からややこしい要望が上がってきた。X対応に大いに絡む話しだ。ますます作業規模がわからなくなる。このわからない状態というのが大変なストレスで、私は3月末から常に「締め切りに間に合わないかも…」という恐怖で体を震わせながら仕事をした。(本当に首筋から背筋にかけて力が入らない状態)

独身時代だったら、こういった読めない作業は残業により少しでも前倒し作業をして、スケジュールを立てなおすところなのだが、そもそも残業ができないためそのような仕事の仕方はできない。そして私が担当するシステムはこれだけではない。担当するのは全部5つ。気が狂いそうだった。わからないことに気持ちがフォーカスするからストレスになるのだ。粛々とやろう。間に合わなければメンバーに作業カバーしてもらえるように準備しておこう。4月にはそう腹を括った。

そしてこういった中で割り込み作業が入ってくる。営業部がWebサイトを立ち上げるのでサーバを準備してほしいというものだった。ふざけんな、こんのクソ忙しいときに。私が作業を割り振る立場だが、どう考えても他のメンバーは他作業で手が埋まっている。私がやるしかない。この時は2月にメンバーに「自分で調べてやってください。」と千尋の谷に突き落とされたAWS環境構築の経験が生きた。3月下旬はサーバを作成して引き渡し。4月はWebサイト公開の手続きのイロハ(関係部署にチェックを仰ぐ)を営業部に教える支援。その後もちょくちょくとデザイン会社では解決できないサーバ周りの設定をやることとなった。

結局、私が担当した洗い替えシステムは、他メンバーのフォローを少し受けつつ、4月半ば、テストが十分にできぬままリリースを迎えることになった。リリースが終わったら一段落というわけではなく、ハンパな状態でリリースしたため、問い合わせ対応のため臨戦態勢となる。現に数件あった。まだまだ気が抜けない。働くとこういうことはこういうハラハラ感と隣り合わせということなのだろう。





同じ時期、緊張していたのは私だけではなかった。トゥットゥも同様に緊張していた様子だった。このブログの一番下の「トゥットゥへの気付き」にも書いたが、3月半ばより保育園の慌しい雰囲気に飲まれたようだった。年長組の卒園のセレモニーに参加したり、進級の慣らしとして新しい教室で遊んだり、お昼寝してみたり。そのため保育園では少しのことでぐずぐずと泣くようになり、お昼ご飯も自分では食べられなくなったと連絡帳に書かれていた。確かに3月半ばから家でも自分でご飯を食べなくなった。

「おかあさんがたべる(お母さんが食べさせて)」

と言って私が匙で食事を運ぶのを待っているのだ。他にも頻繁に

「いっしょに」

と台所仕事をしている私の手を引き、居間に連れていき、私を座らせて、膝の上に座りぼーっとすることが多くなった。

それだけではない。3月下旬あたりから思い通りにならないと癇癪を起こし、机の上のものを全部ぶちまけ、泣き叫ぶようになった。今までだったらそんなことでは癇癪を起こさなかったのに。言い聞かせれば問題なかったのに。それはちょうど私も仕事でキリキリとしていた時期だった。おそらく保育園だけでなく、私の緊張した様子が影響したのかもしれないと思った。

3月30日だったか、トゥットゥは何か気に入らないことがあり夕食の皿を机からなぎ払った。私は瞬時にキれた。

「なんてことするの。ごめんなさいでしょ!」

トゥットゥは私と目を会わせようとしなかった。私が目を合わせると逸らす。その繰り返しだった。以前であれば「トゥットゥは幼いのだ。悪いということが徐々にわかればいい。」と鷹揚に構えていた。ところが明らかに言葉が理解できるようになったため(1月あたりから会話が成り立つようになった)、躾として悪いとわかれば「ごめんなさい」を言えるように導きたかった。

しらばっくれるトゥットゥの様子を目の当たりにして私も悔しくなり、「『ごめんなさい』はッ?」と目をあわすたびに厳しく言った。それを3分くらい繰り返しただろうか。トゥットゥも私との間に漂う緊張に耐えられなかったようだ。

「・・・おめでとー!」

は!? 脱力した。少し笑ってしまった。それでも私は手を休めることなくしつこく「『ごめんなさい』はッ?」を繰り返し、結果5分くらいかかってトゥットゥは小さな声で

「ごめんなさい」

を言った。それを聞いて「わかった。もういいよ。」とは言ったものの、後味が悪かった。そもそもトゥットゥは目を逸らすこと自体、悪いことをしたのはわかっているのだ。そこまで追い詰める必要があったのかと反省した。私も仕事でイライラしている影響がこんな風に出ようとは。





4月20日(月)。私の仕事は13日(月)がピークで、ちょうど落ち着いてきた頃だった。週末には中山競馬場に行き、日曜日は皐月賞を見るために私たち家族はのんびり過ごした(前ブログ)。そんな週末明けの月曜日。トゥットゥは登園途中、だんだん顔が曇っていき、ぽつりと

「おうちにかえる」

と言った。こんなことを言ったのは初めてだ。そもそも保育園に行くときに愚図って泣くこともいままでほとんどなかった。家でベビーカーに乗せるときに、「コッシー見る~!」(Eテレ「みいつけた!」)など泣き叫ぶことはあったが、ベビーカーに乗ってしまえば、あとは保育園に行くのが楽しみな風で、雲や木々や花、車や電車を見ては楽しそうにおしゃべりした。

この日は正門50m手前あたりからだんだん「おうちにかえる」コールが大きくなって行き、保育園につく頃にはめそめそ泣き、教室で引渡し時はぎゃん泣きとなった。

その日の朝当番だったは副園長先生は「月曜日はつらいよね。はいッ、おかあさん行ってらっしゃい!」と、さもよくあることのようにトゥットゥを抱っこで預かってくれた。こういった先生がいることは本当に心強い。

21日(火)は大丈夫かと思ったが、「おうちかえる」が始まるのが少し遅かっただけで、やはり預けるときには泣いていた。22日(水)は正門で、23日(木)は教室に入る前、「おうちかえる」と言って不安そうな顔をして、預ける時に泣いた。

そして今日24日(金)は預ける時まで大丈夫だった。ところが1、2歳時預かりの早番の教室に入った瞬間、不安そうな顔をした。ああ、わかったぞ。今までより人口密度が高い。新1歳児であふれかえっている。トゥットゥは2歳児になりお姉さんになったのだ。今まで1歳児クラス、2月生まれのみそっこだったのだ。一番小さい子として可愛がられていたのだ。その地位が完全になくなっている! ははは、わかる、その不安。慣れるしかないよ。

私は仕事が落ちついて彼女の様子が初めてわかったのだ。きっとトゥットゥもそれまで私のピリピリした様子を見て「おうちかえる」を我慢していたのかもしれない。面目ない…。母親がイライラするとダメだなと改めて思った4月だった。来年は仕事になれたのでもう少しスマートにやろうと思う。





トゥットゥへの気付き
様子
ここのところ毎朝「おかあさん、すき」と言われる。ありがとう。お母さんも貴方のことが大好きです。
体調
乾燥肌。ピジョンの桃の葉エキス入りローションを買ってみる。肌触りはいい感じ。
食事
本当にご飯食べなくなったね。それでも成長曲線はまだ「肥満」。うぬぬ。