私はゴッシュと共に9月よりずっと風邪を引いており(ゴッシュは一足先に完治)、それを心配したデコ母が滞在期間は全ての家事を引き受けてくれた。食器の片付けなど少しでもやろうとすると「いいから、いいから! 休んでて。治して帰って」と制される。
「私も実家に帰った時は母にこうやってもらった。順番よ。」
デコ母は笑って言った。人の恩というのはその時に返さなくても順々に回って行くのだなと思った。私も私に連なる人たちに恩を返せる人間になりたいと思った。
デコ母のおかげで、私は子供たちと共に8時に起きて9時に寝た。日中やることといえばゴッシュの授乳とトゥットゥの遊び相手、彼女の食事と風呂の世話くらいか。しかし心底リフレッシュできたかといえば、答えはノー。いつも保育園にお世話になっているトゥットゥの相手が意外と大変なのだった。
「ひらかなや数字は教えているの? お絵かきはどうなの? あなた達が小さい頃はとっくにできたんだけど…ってロミ父が心配してたわよ。保育園がなんとかしてくれる、小学校でできればいいとか、そう言う問題じゃないのよ。」
デコ母にやんわりと言われた。
トゥットゥ、3歳8ヶ月。私たちもただ手をこまねいていたわけでもなく、興味を持った物を与え、その場所に連れていくといったことはしていた。ただこう言ってはなんだが、私もジェイジェイも小さい頃から利発だったらしく、現に高学歴である。私たちの子供なら「機会」を与えていれば「なんとかなるだろう」という甘えがあったのかもしれない。しかしそうではないのだ。話を聞けば、デコ母、サチ母の手厚い育児の賜物なのだ。これは、子育ては適当では「なんとかならない」という、育児の先輩からの警告である。
字に興味を持ち始めれば、一緒に読んでみる。数字に興味を持ち始めれば、どんなものでも一緒に数えてみる。数単色しか使わない絵を描くのであれば、一緒に多色で書いてみる。折り紙が適当にしか折れないのであれば、一緒に丁寧に折ってみる。
最良の「機会」とは、興味を持ったタイミングで親が付いて一緒にやってあげることなのだろう。それは子供にとって時を共にしたという愛情の証にもなるだろう。ふとかつて読んだ本を思い出した。
育児を外注しないこととはそう言うことなのだろう。
リフレッシュできなかったのは、トゥットゥの世話そのものよりも、今まで気が向いたときにしか一緒にやってあげなかったこと、これからどうやって一緒にやる時間を取ればいいのかと、ずっと頭を渦巻いていたからかもしれない。自分と育児を見直す良い機会となった。