メインストリートを通ってホテル河鹿荘の脇を通って橋を渡り、吉池を過ぎて割とすぐの所、須雲川の脇にあった。ベビーカーを押して歩いて行くにはちょうどよかった。ホテル自体にこれと行った強烈な特徴はないのだが、川の側で常にせせらぎの音が聞こえてリラックスできたのと、食事がしっかりとした会席料理で満足できたことであろうか。あと不思議なのが、食事会場に行くと人でそこそこ埋まるにも関わらず、大浴場ですれ違うのはせいぜい3組くらいで、混み合うことなくお風呂に入れたことである。おかげで露天の丸い湯船でゆっくりできた。
意外だったのはゴッシュが大浴場に足を踏み入れただけで号泣だったことであろうか。トゥットゥは温泉宿3回目と言うこともあり慣れたものであったが、ゴッシュは1回目のジェイジェイとの男風呂、2回目の私との女風呂、両方とも全くダメであった。泣きわめく子を烏の行水のようにして出てきた。せっかくの温泉、勿体無いものである。
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さて、本来であればゆっくり休むのが温泉旅行の醍醐味であるが、今回のメインイベントは別にあった。ゴッシュはまだ幼いのでわからないとして、すでに子供として覚醒しているトゥットゥはただの温泉旅行では退屈に違いない。そう考えたジェイジェイは可愛い娘のためにとっておきのアクティビティを用意した。それが箱根の「フォレストアドベンチャー」である。早い話が命綱をつけた高所のアスレチック施設での遊びだ。
ジェイジェイは私とトゥットゥをこのフォレストアドベンチャーにぶち込んだ。自分は先に宿に行くと行って…。いや、私は公園遊具好きだからいいんですよ。いいんですよ。ただね、この施設にいくとわかったことなのだが、大概お父さんが引率者で、お母さんは下から声援を送る役目となっている。高所でなり振り構わないアラフォー女性など私しかいなかったのは確かである。
110cm以上身長があれば楽しめるキャノピーコース。トゥットゥは先月の身長測定が109cmでギリギリだったが、ジェイジェイは見切り発車でこのコースを予約をした。やはり到着すると微妙…と言うことですぐに身長を計られた。ギリギリOK。「4歳なのに大きいですね。ついさっきも4歳の子が参加していたんですよ」と言われた。4歳でも楽しめるのだと安心した。
そしてハーネスをつけてもらい、スタッフからレクチャーを受けた。キャノピーコースは全部で5つあり、最初のコースはパッとみる限り慣らしのような感じだった。4歳の子も楽しめるみたいだしこんな感じなら行けるなと思った。ビレイ(ハーネスとコースを繋げる装置、命綱)の使い方の説明の後、ビレイがあるから仮に転落して宙吊りになっても落ちついて足場を探して欲しいと言われた。
私がビレイの運用補助をするために先行する。
ははっ、余裕だぜ。余裕!
…なわけない。階段を登り最初の足場。高い!高すぎる!! そして後ろにはトゥットゥが付いてきている。空中の板に一歩足を踏み出す。ゆらゆらする。命綱をつけているとはいえ足元の不安定さが怖い。これをトゥットゥが渡るのか? そもそもトゥットゥは飛び飛びになっている板に足が届くのか? サイドに張られた手摺り替わりのワイヤーに手が届くのか? 宙吊りになったら落ち着いて足場を探せるのか? 否! 私はパニックになった。どうやってトゥットゥを進ませるのだ。
下からスタッフの声がする。
「何かありましたらすぐに助けに行きますからー!」
いや何かある前に娘が前に進めないと思うんですけど!トゥットゥも
「どうすればいいの? 怖いよー!」
と言って一歩も進めない。110cmあれば4歳でも楽しめるのではなかったのか。確かに身長110cmはあっても身体能力は所詮4歳なのだ。先ほどの例に出た子はいわゆる活発な運動神経の良い4歳であろう。トゥットゥは決してそのタイプではないのだ。真に受けた私がバカだった。しかし2500円×2名が無駄になる。
私は命綱を握りしめながらバランスを取り、トゥットゥのいる後ろを振り向いた。
「お母さんのズボンのベルトを持っていいよ。下の板(足場)は足が届かないと思うから、板ではなくてワイヤーの上を歩いて。」
宙吊りになるなら共に。運命共同体となった瞬間だった。
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すでに高所が怖いと感じている暇はなかった。娘をいかに宙吊りにさせずに前進させるか。彼女を誘導し、補助し、激励した。それのみに注力した。まるでヒロインを守りながら進むヒーローになった気分だった。ああ、これはインディー・ジョーンズだ。大好きなヒーローだが追体験に感激している余裕はなかった。自分だけなら問題ないだろうに、守る人がいるとはこんなに大変なのか。
1コース終わっただけで汗だくだった。これでパッと見、慣らしのコースか。第2、第3コースだとどうなるのだ…、考えるだけでクタクタになりそうだった。2500円のうち少なくとも5分の1コース、500円分は楽しんだ。もういい。私の神経が持ちそうにない。
「ねぇ、トゥットゥ、次のコースどうする? 怖い? やめる?」
正直やめるという回答を期待していた。
「ううん、続ける。」
まーじーかー! 仕方ない。腹を括った。
案の定、高度や難易度は増した。コース立ち上がりにスタッフの手を借りたこともあった。幼い子を進めるための攻略が全く思いつかず長考してしまったこともあった。しかし当のトゥットゥは回を重ねるごとにコツを掴み、最後には宙吊りになってもなんとも思わなくなったようで、むしろ宙吊りになりながらワイヤーを手繰り寄せて進んで行った。なんとたくましい! 最初の私の足場から落とすまいと力んだ努力は子供の柔軟性を前に敗北したのであった。
そして5コース全てをクリアした、と言いたいところだが、5コース目に差し掛かる時、ちょうど他のお客さんがぞろぞろと帰りはじめ、周りを見渡すとキャノピーコースには私とトゥットゥが残されるのみとなった。トゥットゥは急に寂しくなったらしい。
「もういい。やめる」
「ええええ。ここまでやったのに!? あと残り1コースだよ!」
私の方が興奮してしまった。しかし彼女は頑なだった。
「もう帰る時間でしょ。寂しいもの。」
こうして私たちのフォレストアドベンチャーは幕を閉じた。
当然のことながら私たちの活躍を写真や動画に納めてくれる人はいなかったため、ジェイジェイたちには私の話だけで私の苦労が伝わったかどうかはわからない。しかしあの慎重派のトゥットゥが高所の恐怖を乗り越えコースを攻略した勇気と知恵と身体能力は皆で讃えたい。