出勤途中、今晩にはトゥットゥの症状が落ち着いて明日は保育園に行けるといいなと思いながら、会社の最寄駅に降りてすぐに携帯電話から保育園に休みの電話をかけた。電話には園長が出た。ヘルパンギーナの疑いがあることを伝えた。すると思いもよらない返答があった。
「その病気は登園証明書が必要です。」
え? 私の頭は一瞬停止後、フル回転した。最速明日に登園証明書をもらったとしてもトゥットゥは明後日の登園となるだろう。私は明日の午前中までどうしても仕事で休めない。どうする? 一番いいのは出勤予定のジェイジェイに全休を取ってもらうことだ。一日トゥットゥのお守りをしてくれればサチ母に三度の通いをお願いしたり、私が講義を休むこともない。
しかしさすがにジェイジェイの全休は申し訳なかった。よって次のような妥協案をひねり出した。ジェイジェイには午前半休を取ってもらい、午前9時以降にサチ母にバトンタッチ、そして私は午前で仕事を締めて、午後には帰宅してトゥットゥの登園証明書をもらいに再び病院に行く、というものだ。ジェイジェイは確か午前中は会議やお客様先訪問は入っていない。残業でカバーできる仕事のはずだ。私の差し迫った状況を考えると当然半日ぐらいはOKと言ってもらわないと…。そんな気持ちで変則休暇中の彼に調整依頼メールを出した。
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「サチ母が明日の朝来てくれます。自分は申し訳ないけど明日の朝は○○当番なので出社します。」
ジェイジェイからメールで返事がきた。これだけ見ればなんら問題ない。しかし私は怒りがこみ上げてきた。私はジェイジェイに休んでくれるものだと思っていたのだ。というのも以前、私が仕事で穴をあけられない場合、トゥットゥにもしものことがあったら代わりに会社を早退、もしくは休んでほしいとジェイジェイにお願いしたことがあった。あの時に想いは伝えたはずだったからだ。
最初はあの時話した内容をジェイジェイはいい加減に聞いていて、私の意図を理解していないと想像した。きっと男は休むものではない、伝統的に子育ての役割を与えられた女、この場合は時短勤務を許可された私のほうが休むのが当然だと思っているに違いない。あの時あれだけ仕事の重要度を考慮して対応してくれと言ったのに。私の仕事を軽んじられていることにますます腹が立った。
考えれば考えるほど腹が立ったので考えるのをやめた。明日私のやることをは2点。明日は朝5時台の電車で来ると言ってくれたサチ母に丁重にお断りすること。そして同じ講師チームのメンバーに引継ぎをお願いすることだった。取り急ぎ手配をした。結局私が休むことになるのである。仕事の引継ぎはチームメンバーが皆優秀なのですぐにカバーに回ってくれることになった。ジェイジェイはそれも見込んで休んでくれなかったのだろうか。そういう彼の勘のよさにも腹が立った。
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トゥットゥを迎えに行く帰り道、私はやはり腹を立てたまま改めてジェイジェイにメールにこう書いて送った。
「(今度は)半休でも休みを取ってくれると助かります。」
するとすぐに返事が帰ってきた。
「できるだけ休むようにします。」
これで気持ちがすっとした。たったこれだけだが、すっとした。私は本当にジェイジェイに休んでほしかったのだなあ。だから「休むようにします。」とポーズかもしれないが(?)意思表示してくれてことがうれしかった。そのおかげで本当に○○当番で彼も休めなかったのかもしれないとメールの言葉を信じられるようになった。
しかしなぜ私は彼が休むことにこだわったのだろうか。自分でも不思議に思った。別にさち母が来てくれると言っているのだからいいではないかと一瞬思った。
それか!
ジェイジェイはこう思ったに違いない。トゥットゥを目に入れても痛くない自分の母親が朝5時の電車に乗っても来てくれるというのだから、何を自分が休む必要があろう。相手は最も信頼できる人物で、自分が最も頼みやすい人物なのである。トゥットゥの面倒を見る信頼できる誰かが見つかれば究極的な目的は果たしたのであり、同時に自分が休むという選択肢を放棄してもよいという論法になのだろう。それは合理的な彼らしい考え方だなと思った。決して私の言ったことを理解していないのではないのだろう(…と信じたい)。
ではなぜ私はサチ母案を許容できなかったのか。最初はサチ母に朝5時の電車に乗ってきてもらうなんてとんでもない!しかも今回で3日連続! という嫁の立場からの遠慮があったのだと思う。しかしそれは表面的なことで、根底には基本は夫婦で子育てをすべきだというポリシーがあるがゆえにジェイジェイが許せなかったのだ。彼に半日だけでも休んでもらうことで、私たち夫婦が協力して子育てをしていることをサチ母にも知ってもらいたかったのである。
そうはいってもおそらくサチ母は「貴方が休むことないの。私がトゥットゥの面倒を見るから。」と息子の選択を遮るだろう。そしてジェイジェイは「あ、そう? だったらお願い。」となし崩しでサチ母に頼りきってしまうことは容易に予想できる。問題はそこだ。私でも自分の母親がそのような提案をしてくればそれに甘えるかもしれないからだ。
私はサチ母のことが大好きで本当に感謝している。しかしやはり私たち夫婦とその子という家族の最小単位の境界を守りたい…といったら語弊があるが、けじめをつけたいと思っている。なぜならサチ母にはいつでも気持ちよく手を貸してほしいからだ。ここをいい加減にすると小さな違和感が積もり積もってサチ母の中にも「やってくれるのが当たり前だと思って。」と感じはじめるだろう。
まずは自分たちがやりますという姿勢を見せること。親しき仲にも礼儀あり。心地よい人間関係はすべてそこに集約されるのではないか。今回は無駄にジェイジェイに怒りを感じてしまったが、子育てのけじめについて考えるよい機会となった。
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トゥットゥへの気付き
様子
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再びサチ母抱っこで近所のドラックストアまでお散歩。ガチャガチャがわかるようで、お金を入れて回すことを要求するらしい。昨日の機関車トーマスのガチャに引き続き、今日もトーマスガチャ。ジェームスとソルティと荷物車が当っていた。200円×3。お母さん、散財させてすいません。
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体調
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本日木曜日は高熱はもうない。声がガラガラで咳が続いている。基本は元気。
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食事
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まだ喉が腫れているせいか食欲は戻らず。
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