2014年11月3日月曜日

ピアノ発表会を聴きに行く

今日は私が以前習っていたピアノ教室の発表会があった。私はトゥットゥを産むまでは毎年演奏者として発表会に参加していたが、観客として聞きにいくのはこれが2度目である。去年は発表会で演奏するという緊張感から開放されて、演奏はお客さんに表現を届けてナンボだと思えた会だった。その大きな意義から見ると、ミスタッチや途中で演奏ストップしてしまうことなどは本当にささいなものだということもわかった(プロは違うけどね)。弾くのと聴くのではえらい違いである。


そして今年。正直、美しい演奏を聞きにいくという意味ではお金を払ってプロのコンサートに行ったほうがよほど有意義だと思っている。しかしそれでも一ピアノ教室の発表会を聞きに行こうと思った。もちろんお付き合いの側面もある。私はお世話になったピアノの先生が好きだ。人は素直な心さえあればいつでも成長できると教えてくれた人だからだ。この年になっても先生と呼べる人に付いて行く幸せ。人はいつになっても先生(父性的)なものを求めるものなのだろう。私がピアノに復帰できるかはわからないが、切らせたくない縁なのだ。

しかしそれ以外にも何か別のもの。何か感動を求めに行くのではないか。その正体がはっきりしないまま、発表会に行くことにきめた。もちろんトゥットゥは幼いので一緒にいけない。前日に千葉の実家入りをして、トゥットゥをサチ母に預けた。ジェイジェイと二人で面倒を見てくれるということなので、その申し出をありがたく受けた。私一人、家に帰り、翌日の発表会に備えた。





発表会会場に入ると入り口には今日の会のホステスとしての先生が立っていて迎えてくれた。握手するとずいぶん手汗で湿っていた。さすがの先生も緊張しているか。

「もう始まるっていうのに来ない子もいて、慌てるわよ。暑いわよ。」

ははは、演奏以外でもヒヤヒヤしていたのですね。

ホールに入ると目の前にスタインウェイのピアノ。座席は80名くらいか。両脇の壁にはタペストリー。後ろの洋風の窓から見下ろすと個人宅らしく整った日本庭園。いささか施設は古いが洋館の歴史あるサロン的な雰囲気が、これから発表会という気分を盛り上げてくれた。

まずは子供の部から。とっておきのドレスと髪型でキめた女の子たちの誇らしげな顔を微笑ましく思った。しかしさすがに演奏前になると緊張と不安の入り混じった顔を見せるようになる。子供でも無邪気ではいられないのだ。子供の演奏なのでもちろん未熟なところはたくさんだ。運指がぎこちない。リズムがなってない、鍵盤をきちんと押せない、左右のバランスが悪い。コンクール目線で聞けば不備はいくらでもある。しかしこんなに小さな子でも曲で自分のやりたいことを表現しようという意気込みがあった。例えば明るい曲は陽気なリズムを際立たせた。悲しい曲なら沈んだ音を鳴らした。激情的な曲は体を使って大きな音をしっかり響かせた。伝えることの素晴らしさをストレートに感じることができた。

次に大人の部。みんなとんでもなくチャレンジな曲を選んでいた。もちろんちょっと背伸びしすぎたか?という演奏もなきにしもあらずだったが、見せ場はあった。練習の成果が出たのだろう。その平常の成果を出し切る難しさを知っている身としては、自分のことのように嬉しく思った。また私が以前まだダメだといわれたラヴェルのソナチネを演奏する人もいた。しかし去年、一昨年と聞いてきて、この方ならチャレンジできるなと素直に讃えることができた。演奏も素晴らしかった。ヤナーチェクのソナタ「1905年10月1日の街角で」を弾いた方もいた。初めて聴いた。池上彰さんの世界紛争地の解説を聞いているような気分といおうか、報道写真を見ているような気分になったのは自分でも面白かった。一番難易度高だと思ったのは、ドビュッシーの前奏曲第2集「花火」。日本の花火とは違う。明らかに違う。町並みから花火の大きさ、色の配色まで全て。どうやって表現するのか。表現以前に指、どうなっている? 音の響きがモネの「睡蓮」のようだ。色が重なり合うように音が重なり合う。少しパリの万国博の花火を体験できたような気がした。

振り返ってみると、私はアマチュアだろうがプロだろうが、子供だろうが大人だろうが、表現をする喜び、素晴らしさを感じにきたのだと思った。そして今回、チャレンジする勇気。元気がもらえた。プロだとこれらを涼しい顔をしてクリアしなければならないが、アマチュアは必死さが表に出てもよい。だから演奏自体は下手でもプロセスが伝わりやすい。それがアマチュアならではのよさなのだろう。





いつかトゥットゥにもピアノを習わせたいと思っている。私がピアノが好きだからというと少し語弊がある。ピアノは小さい頃から苦しい思い出がほとんどだ。先生と母は私がピアノを続ければ喜んでくれるに違いない。正直モチベーションはそれだけだった。中学生くらいになるとそれなりに人が「おおッ!」という曲も弾けるようになったが、そこに至るまでの苦労のほうが多すぎて、見合わないと思っていた。大学進学で文句のつけようのない辞める理由ができて開放された。それは先生と母ばかり見ていた自分から開放された時でもあった。

なぜ大人になってピアノを再開しようとしたのか。興味を持ったことがあった。それは体を使いこなす万能感である。私はスポーツはほとんど興味はないのだが、2004年イチローがメジャーで262安打を達成したことは心底すごいと思った。見えるか見えないような、どこに来るかもわからない球をバットに当てる。学生時代の私ならそれに何の意味があるのか、スポーツなどただの遊びではないかと切って捨てたことだったろう。しかしただそれだけのために体の隅々の神経を研ぎ澄まし、体を道具のように使う、逆か、道具を体のように使う、あの感覚はどんなものなんだろうと興味を持った。それを想像すると、自分の経験で置き換えられるのはピアノの演奏だった。イチローのあれを少しでも自分で体験してみたい。ピアノを再開することに決めた。

そこからの道のりは平坦なものではなかった。当然イチローの状態になれるはずもなく。ただ、学生時代でピアノを打ち切っていたらわからなかったことが見つかった。それは芸術においてもっとも大切なこと、「表現」だ。私の学生時代の表現など、速い、遅い、強い、弱い、柔らかい、硬い、こんなものだった。正直それくらいしか考えていなかった。例えば「悲しみ」を表現するには脳で思い描いたイメージを体中の全神経を総動員して指先に「悲しみ」を伝えなければならない。そうでなければ聴いている人には「悲しみ」は伝わらない。そしてクラシックは再現芸術であることから、「悲しみ」は作曲者の悲しみであり、それを自分の悲しみとして表現をしなければならない二重性の奥深さを知った。作者の意図を汲み取るにはピアノ演奏以外にも知らなければならないことがたくさんあった。初めてピアノが面白いと思った。大変さはますます増したのだけれど。

身体を自由に操る感覚。そして表現することにつながるすべてが面白いという感覚、これをピアノでトゥットゥに体験させてやりたい。先生や母を見るのではなく、純粋に音楽を見つめた先にこのような楽しみがあることを体験させてやりたいと思うのだ。私のピアノの思い出は苦いものがほとんどだけれど、大人になってこの楽しみに出会えてよかったと思っている。先生にも母にも感謝している。さしても興味がないのに続けた先にこんなことがあろうとは。やはり続けることが大切なのだ。親として伝えたい。




(蛇足)
このところ適当に競馬予想をしていてレースに身が入らなかったので、この度まじめに競馬予想をした。11月4日(日)秋の天皇賞。きちんと左回り、東京、2000M(中距離)が得意な馬。東京2000Mの外枠の不利さを考慮。年齢、気質、これまでのレース展開。レース頻度(休養の長さ)。それらもジェイジェイの指導の下、考えてみた。

予想は次のとおり。ドバイよもう一度、一枠一番のジェンティルドンナ軸に、騎乗が強引な外国人騎手ならなんとかしてくれると東京2000M外枠不利の若駒イスラボニータ。6ヶ月の休み明けが気になるが実力は一番だろう怪物フェノーメノ、東京、左回り、中距離OKなディサイファの組み合わせで挑んだが。

結果はこの通り。フェノたん…。天皇賞を山で仕上げたであろうスピルバーグに完敗。真面目に予想すると競馬って面白い。





トゥットゥへの気付き
様子
風邪のためのびのびになっていた四種混合(追加)と水疱瘡(2回目)の予防接種完了。これでしばらく予防接種はなし。
久しぶりの予防接種に、トゥットゥは「おかーしゃ、おかーしゃ、おかーしゃ(助けてと同義)」と情けない声で泣いていた。先生からはよくがんばったねとシナモンロールのシールをもらっていた。最初、メロディちゃんと区別が付かず(耳の感じが似ているのか?)、「メロたん」と呼んでいたが、現在は正しく区別されて「シナたん」となっている。
体調
千葉のサチ母の家の最寄駅から家まで歩いた。薬なしで快調なうんちをした。やはり歩いて腸を動かさないと!
若干両目から目やにが出るのが気になる。まさかアデノウイルス!?
食事
サチ母の家で金目鯛(焼)1匹完食。おさかな大好きっ子、ここにあり。