「お母さんもお子さんと一緒に遊んでくださーい。」
来て早々先生(保育士)から声がかかる。すでに他3名のお母さんたちは到着、子供たち中で遊んでいた。
いつもは8時過ぎに保育園入りすることから、すでにいつもとは違うと感じ取っているトゥットゥ。「お母さんが一緒だ!」というはしゃぐ様子を期待したが、そうはいかなかった。着替えやエプロン、オムツを所定の位置にセットしようと移動すると、例の「おかーしゃ」と不安そうな声を出し、半泣きになって追いかけてきた。おいおい、これじゃ、土日の家での状態と変わらないじゃないの。なんのための参観日か。
と思って他のお母さんたちと子供を見ると…他は全員男の子だったのだが、もう密着具合がトゥットゥのそれの比ではなかった。本当に付き合い始めの恋人のようなベタベタ具合である。男の子はここまでとろけてしまうのか!? 親子で遊んでいると思いきや、男の子たちはあまりにお母さんにベタベタくっつくので、お母さんたちはそれをしたいだけさせながら(つまり放置)、座談会。ははは、すごいや。
<一緒に遊ぶ>
泣きべそのトゥットゥを抱っこしてお友達の輪に入っていくと、「これで遊んでください。」と気を遣って先生がおもちゃを手渡してくれた。縦に穴の開いたタッパの上部から様々な色のプラスチックメダルを入れ込んでいく貯金箱のような手作り玩具。色を覚えたばかりのトゥットゥと「このメダルは何色?」「ピンク。」「黄色取って。」「はい。」と親子で仲良く遊ぼう。遊ぶつもりだった。
…遊べるわけないじゃないの! 一人の男の子が玩具を見るなりスライディングで割り込み。もう一人の男の子もじっと見ていてにこにこしながら玩具の前にちょこんと座って割り込み。トゥットゥも入れて3名で遊ぶことになった。この時点で「保育園、すげえ」と思う。集団生活ってこういうことなのね。
スライディングの男の子は、貯金箱に1枚ずつコインを入れるのがまどろっこしくなったのか、次に2枚同時となり、3枚同時が入らないとわかった時点で、「タッパの蓋を開ければコインは一気に入れられるんだぜ!」とばかりに蓋を開けてコインを豪快にいれ始めた。おい、こら、こーどーもー! もう一人のニコニコ男の子はトゥットゥと交互にコインを入れて遊ぶことができた。性格でるのね。トゥットゥは気圧されたのか遊んでいる間中私の膝の上にずっといた。
<午前のおやつ>
遊んでいるとおやつを食べるためのテーブルと椅子がセッティングされた。「では御席に着いてくださーい。」と声がかかると、一斉に子供たちが所定の位置についた。トゥットゥは彼女の前掛けが置いてある席に私が連れていって座らせた。いつもなら自分で行くらしいが、もう完全に土日のトゥットゥである。
「お母さんは手を洗ってください。」と言われ、席を立つと案の定トゥットゥは「おかーしゃー」と泣いた。「お母さん、ここにいるでしょ!」と少し遠くから声をかけても泣き続けた。他の子は何事もなかったように、自席の濡れタオルで手を拭き、おやつを食べている。トゥットゥのように母親を見ると家モードになってしまうことはよくあることだという認識なのか、先生も特にフォローをしようともしなかった。トゥットゥは私が席に戻るとピタリと泣き止んで、手を拭き、牛乳を飲み、おやつを食べた。きっとこれがいつものトゥットゥなんだろうな。
<風船ちょうだい>
この日は天気が良かったので、お散歩&お外遊びに出かけることに。生徒18名、先生4名+補助1名、先生一人が3人から4人を見守り、手をつなぎながら、一列になって車道を通って大きな公園まででかけた。私たち母親は自分の子と手をつないで、その列に加わった。今日のような参観日でも、公園までの道中、A君が階段が降りるのが遅い、B君が先生の手を振りきって車道に出ていった、C君が道草をくってしゃがみこんでしまった…などあるのだから、先生たちは毎日さぞや大変であろうと頭の下がる思いだった。
無事到着すると、皆で円陣を組んで準備体操が行われた。トゥットゥが家でやる「ぶらぶらぶらぶら~」はこれなのね!と合点がいった。準備体操が終わると大きな袋に入れてもってきた風船が取り出された。子供たちは目を輝かせ、歓声を上げた。もちろんトゥットゥも例外ではなかった。
「今日は特別に風船遊びをします。先生とお母さんの腰に、リボンのついた風船を括りつけてもらいます。みんなはそれを追っかけてくださいね!」
そうして私たち母親に長めのリボンが付いた風船が渡された。トゥットゥは私に渡された風船は自分にもらえるものだと思ったようだ。私が風船を自分の腰につけ始めると、絶望したような表情をして泣いた。そして泣きながら私の風船を奪おうとした。
「トゥットゥ、風船はお母さんのものなんだよ。お友達もみんな持ってないでしょう? 泣くとおかしいよ。」
一応泣き止んで立ち止まって聞いてくれたが、じーっと考えた風で、結局は風船が自分にもらえないことがわかって、再度泣いた。そうこうしていると私は風船を腰につけ終わったので、
「トゥットゥ、これを追いかけるんだよ!」
と風船をひらひらさせた。トゥットゥは風船をもらおうと手を伸ばしたが、逃げる私に「やっぱり風船くれないじゃないか!」という怒りの表情で泣きながら追いかけてきた。ははは。こりゃダメだ。ちっとも遊びになっていない。
私たち親子がこんな風にやりとりをしていると、その間に風船はクラス全員に配られていた。はやく言ってくれよ。うちらの親子の信頼崩れちゃってるじゃないの! 私は腰の風船を外してトゥットゥに渡した。トゥットゥは満足そうだった。
<地面の絵>
1歳児たちが風船遊びも飽きた頃、銘銘が先生の近くで好きなことを始めた。トゥットゥは早々にサッカーゴール軒下に座り込んで砂遊びに熱中。私がトゥットゥの側に立っていると、いろんな子がサッカーゴールの下に集まり始めた。先生曰く「なんか、この下が落ち着くみたいなんですよねー。」 なるほど、ゴールの網にもたれたり、くぐったり、絡まったり。ゴールのフレームの上に腰掛けたり。トゥットゥのようにゴールの下に座り込んでみたり。
そのうちの一人の男の子がしきりと
「みきあいて」
と言ってきて何を言っているのかがわからなかった。最初は「幹相手」としか脳内変換されず、何かと戦っているのかと思ったものの、2歳ちょっとの子供が「幹」という単語を知るはずもなく。
「ああ、もしかして、ミッキーのこと? 『ミッキー書いて』ってことね。」
私はミッキーマウスを地面に書いてやった。嬉しそうにしていた。そうするとそれを見た他の子が「バイキンマン!」と言うので、バイキンマンも書いてやった。「他に。他に。」と言うので、ショクパンマンやドキンちゃんも書いてやった。こういう時絵が得意でよかったと思った。私はちょっとした人気ものになった。
<落ち葉>
いつの間にか子供に囲まれて、地面に絵を書いては消してをしていたら、砂遊びに熱中していたトゥットゥが、私に落ち葉を差し出してきた。どうも私が他の子と遊んでいたのが気に入らなかったらしい。
トゥットゥの機嫌を取るべく、他の子にお暇と告げて、二人で落ち葉拾いをしていると、先生がやってきて
「お気に入り袋どうぞ。お散歩で好きなものを持って帰るための袋を作ったんです!」
と言って真っ赤なポシェットを手渡された。うわあ、可愛い!でも男の子は砂とか団子虫持って帰り、女の子は葉っぱや綺麗な石を持ち帰りそうだなとすぐに想像した。それはドンピシャで、私にバイキンマンを書くように所望した男の子は早速ポシェットいっぱいに砂を詰めていた…。トゥットゥ、女の子でよかった。
ところがトゥットゥ、ここにきて落ち葉は手で細かくちぎれることを発見したらしい。私がポシェットに入れてやった落ち葉を全て出して細かくちぎり始めた。そしてちぎったものをまたポシェットに戻した。熱中し始めると私のことなど眼中にない。先生が「全員集合ー。保育園に帰りまーす。」と言ったときも、どこ吹く風だった。私が一生懸命、「先生が保育園に帰ろうって言ってるよ。」「保育園に帰ったらお昼ごはんだよ。」と言っても、一度も顔を上げることなく葉っぱをちぎり続けた。仕方なく抱っこで集合場所に向かった。
集合場所でもトゥットゥは一人葉っぱをちぎり続けた。皆が列を作ってその場を離れてもずっとそのままだった。しんがりの先生は「トゥットゥちゃんのペースでいいですよ。」と言ってくれたが、100Mも空いてしまうと、遠くから「トゥットゥちゃんのお母さーん、トゥットゥちゃん抱っこで連れてきてくださーーい。」と大声で呼ばれてしまった。結局抱っこで保育園まで帰った。誰に似た、この変な熱中ぶりは。
<昼ごはん>
抱っこされて強制連行されたようなトゥットゥだったが、実はその間もずっと葉っぱをちぎり続けていたようだった。教室に戻ってきて首から提げたポシェットを取り上げられると嫌がって泣いた。手にはちぎった葉っぱがポシェットに入れられることなく残された。その最後の葉っぱもご飯だからと取り上げられて、さらに泣いた。トゥットゥ、本日いいところなし。
ご飯はミートソース、きのこのお澄まし、キャベツとシラスのサラダ、柿。他のお母さんと
「連絡帳におひるごはん『全量(食べた)』と書かれているの信じられなかったけど、こりゃ全量って本当だね。」
と話題になった。各家庭、我が子家ではほとんど食べず、保育園の給食が生命線だと言っていた。トゥットゥだって魚と白米以外はほとんど食べない。おかずを食べると言っても、拝み倒して3口程度だ。どの家庭も同じ悩みを持っているのだなあ。しかしその親の悩みを払拭するくらい保育園での子供たちの食べっぷりは皆立派だった。
その理由の一つは集団生活であることだろう。家だとお母さんと自分の二人の関係になり、わがままを言ってしまうのは仕方なのないこと。ところがお友達が食べているのだったら自分も食べるか。そんな気持ちにさせてくれるのが集団生活なのだろう。どの母親も家では見せない我が子のたくましさを目を細めてみていた。
そして一つは純粋に美味しいことだろうか。私たちも一緒に食べたのだが、薄味なのだが素材の味がしっかりして美味しいのだ。栄養士さんは「いいもの使ってますから。」と誇らしげに言った。驚いたのは今までトゥットゥは柿が食べられなかった。いつも保育園の連絡帳には「柿食べず」と書いてあった。同様にりんごや梨もNGだった。きっと固い食感がダメなのだろう。そう思って家でも出さなかった。それが今日に限って柿を食べたのだ。それも私のまで奪って。
「八百屋さんが子供たちのために美味しい柿を仕入れてくれたんんです。」
色は薄かった。お世辞にもおいしそうではなかった、ところか一口食べると適度にやわらかく、丁度よい甘さだった。トゥットゥも私が食べているのを見て、食べてみようと思ったのか。初めて柿を食べた。嬉しかった。
<総括>
お昼ごはんを食べ終わると12時。トゥットゥの今日の保育は終わった。今日は参観日で半日保育のはずなのに長い、時間が長いと感じた。
トゥットゥは今回私が側にいるせいですっかり家仕様の甘えん坊モードで、保育園でのいつもの様子というわけではなかっただろう。しかし他の子のお勤めぶりを見ると、それはもう立派なのだ。朝の遊びから、おやつ、お散歩、オムツ替えやトイレ、お昼寝。これらの躾が行き届き、先生が気を配る必要はあるものの、ほぼ全自動でできるのである。普段のトゥットゥもこの流れに入っているのかと思うと感動ものである。人は社会的な動物であるというが、こんな小規模、こんな幼い成員で成り立つ社会にでも放り込まれると、真似をして規律を守ろうとすることが素晴らしいと思った。
同時に私へのベタベタぶりを見ていると、その落差に、先生にやさしく面倒を見てもらい安全を確保してもらいながらも、保育園は集団生活がゆえのストレスがあるのだと思った。まさに幼い子からすればお勤めなのである。半日ですら長いと感じるのだから、18時近くまでがんばるトゥットゥの負担を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だから家に帰って「抱っこして」と言うとできるかぎり抱っこしてやろうと思えた。
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トゥットゥへの気付き
様子
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◆帽子を自分で被る
基本的生活習慣として保育園の先生が少しずつ教えてくれていたらしい。今日、私の前でお散歩用の帽子を前後間違わずに被ることができた。ゴムも自分で顎にかけていた。すばらしい! |
体調
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左目の腫れは引いてきたようだ。咳が少しでるので、私と同じ風邪だろう。
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食事
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キャベツとシラスのサラダ、シラスだけを寄って食べていた。家と同じじゃん!
すると先生は「いつもならお野菜もきちんと食べますよ。」と言ってくれた。つまりやはり私が側にいることで家モードになっているということなのだ。 |