5月9日(土)、母の日の前日。私はお昼13時より美容院に行く予定となっていた。土曜日はジェイジェイのご飯当番の日であるため、早めにご飯を用意してもらった。13時前、出かける時間、トゥットゥはお昼寝前であったがまだまだ元気だったので、ジェイジェイにくれぐれも昼寝させるようにお願いして、私は家を出ようとした。何かが引っかかった。iPodでメールを見た。
保育園父母会会合 5月9日(土)15時より
ぎゃー、来週じゃなかったっけ? 直前に気づいてよかったよ。髪を切ってからぎりぎりで行くことができる。忙しない気持ちで美容院で髪を切ってもらった。ジェイジェイからもトゥットゥからも開放される1時間から1時間半。ゆったりとした気持ちでいられる大切な時間であったが、今日は私のスケジュール管理ミスでこんなことになってしまうとは。万全は幻想だった。母の日(前日)、形無しである。
一旦家に戻ってから保育園父母会会合へ。7月に行われる夏祭りの打合せを行った。家に帰ってくると16時半。その足で当初の予定だったユニクロに行き、トゥットゥの半袖服とランニングシャツを買った。5月の天気はおかしなもので、急に気温30度などと暑くなり、90cm半そで装備(着替え服)が手薄になり、急遽買い揃えなくてはならなくなったのである。ああ、忙しい、忙しい。
家に帰ると18時半。昼寝からすでに起きたトゥットゥとジェイジェイが迎えてくれた。そういえば今日の夕飯はなんだろう。いつもならジェイジェイは水曜日あたりから「土曜日の夕飯、何にしようー。食べたいものある?」と聞いてくるのだが、この週はなかった。
「今日の夕飯はなに?」
「いいから、いいから。秘密。」
「なんで秘密なの。」
「いいもの作ってるのよ。」
ジェイジェイをキッチンに立たせて、私はトゥットゥの居間で一緒に遊ぶこと30分。
「準備できたよー。」
食卓に向かうとワイングラスが出ているではないか。
「どうしたの? なんかあったの?」
「ちょっと待ってね。」
ジェイジェイはトゥットゥを抱っこして寝室に消えた。そして抱きかかえられたトゥットゥが手にして持ってきたものは紫のカーネーションの鉢植えだった。
「トゥットゥ、お母さん、ありがとうは?」
「おかあさん、ありがと。」
「カーネーション、どうぞは?」
「かーね、しょ、どうぞ。」
トゥットゥは何がなにやらよくわかっていないようだったが、ジェイジェイに促されて小さな声で言った。そしてカーネーションを手渡してくれた。正真正銘のサプライズだった。私が美容院に言っている間、ジェイジェイとトゥットゥは近所の花屋に行き、トゥットゥが選んだそうだ。
私は思った。
私は今、母になった。
ジェイジェイと結婚して、子どもを授かり、産んで、生物学上は母となった。でも私の感覚からすると私の身体機能を使ったまでで、母になったという実感はなかった。トゥットゥは私の子どもというよりも、新たな命が神の国からやってきて、それを神様から任命されて預かって育てている感覚だった。それが「母」かと言うとよくわからず、育てることが「母」なのかなとぼんやり思っていた。お世話する人とどう違うのかもよくわからなかった。
でもこの日、初めてトゥットゥに「ありがとう」と感謝された。それがジェイジェイに促されたとしても、私に向かってトゥットゥは「ありがとう」と言ってくれた。ジェイジェイのお金で買ったものではあるが、カーネーションという証を添えて。
人は自身の行為を感謝されて初めて、その役割になるのだと思った。
ちょうどユニクロついでに本屋に寄った。普通なら立ち読みしても本は買わない。本棚がないので本が増えるのは嫌だからだ。最近はもっぱらKindle(電子書籍)か図書館だ。しかしどうしても気になって、何度も本棚に戻しては、手に取って、結局買ってきた本があった。
そこに書いてあった。
人は感謝されて喜ばれるために生きている。
お願いされたことは(基本的に)断らない。そのうち求められる人になる。
「母」は黙っていてなるものではないのだ。子どもに求められて初めて「母」になるのだ。求められる証を今日私は得た。
このような機会を早々に得ることができたこと、ジェイジェイの企画に感謝したい。
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トゥットゥへの気付き
様子
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ジェイジェイによると花屋で、紫のカーネーションを即座に指名したそうです。ナイスセンス。
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体調
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肌荒れ、保育園の先生に「アトピーっぽいですね。」と言われる。来週の土曜日は病院に連れていくぞ。
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食事
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お父さんの母の日料理はバーミキュラの「ローストビーフ」。肉好きなトゥットゥもペロリと食べていた。タレが美味しい
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