2017年3月31日金曜日

のんびり屋の神様

トゥットゥは真冬によく下着のシャツを着忘れて保育園から帰ってくることがあった。着替え時に先生の目が行き届かないのかと不審に思ったが、何せ最大4人の先生(主担任2名、非常勤2名)が25人近くのクラス園児を見るのだ。見過ごされることもあるだろうと、そこは不問にすることにした。それにしてもなぜ寒いのに着忘れるのか。トゥットゥに聞いても要領を得ない。そこで担任の先生に聞いてみることにした。まずは目が行き届かなかったことを詫びた上で、こう答えた。

「下着のシャツを着替えるのはお昼寝明けなんです。ボーっとしているというのもあって、子どもによってはモタモタしてしまうんです。」

あー、トゥットゥはモタモタ組だったか。家での彼女の様子、例えば服を着替える、歯を磨く、片付けるなどを見ていると、動作が緩慢と言うよりも、前のことを引きずったり、別のことに気を取られるなどして、取り掛かるまでに時間がかかるのだった。おそらくお着替えの時、はっと気づくと周りは皆終わっていて自分だけ取り残されている。「急がないと!」と気だけが焦って、「シャツを着なくていいか」となってしまうのだろう。それを先生は

「トゥットゥちゃんはのんびり屋さんですからね。」

と表現した。この言葉にネガティブなイメージはないし、他人に大きく迷惑をかけているでもないので、親としてもこのままでいいかと思った。この一件があってトゥットゥも自分をのんびり屋さんと意識したようだ。私が急かす場面で

「トゥットゥはのんびり屋さんなの。」

と開き直ることもあった。これには苦笑いするしかなかった。

さて、ある日のこと。機関車トーマスの歌に「エミリー!しっかりや〜さん♪」と言うフレーズがあるのだが、トゥットゥはここを文字って「トゥットゥ、のんびりや〜さん♪」と歌っていた。続いて「ゴッシュくん!泣き虫屋〜さん♪」。そして「お母さん!」と言ったので、私は機関車エドワードの箇所を当てはめて「優しい心〜♪」と歌った。するとトゥットゥは私の歌を大声で遮った。

「違うでしょ、お母さんは怒りんぼ!」

怒りんぼ! 思わず吹き出してしまった。確かに。毎朝、私は保育園に出発すると声をかけてから、トゥットゥがのんびりと支度をするのをイライラしながら急かしていた。そして彼女は言った。

「朝、神様に『お母さんの怒りんぼが治りますように』ってお願いして!」

私たちは毎朝、保育園登園途中の神社にお参りをしていた。私は月並みで1日の家族の健康と無事をお願いしていた。トゥットゥは最初は見よう見まねで一緒に手を合わせるのみだったのが、いつの間にか、「うんちが出ますように(便秘気味)」「口内炎が治りますように」「電車の車掌さんになれますように」といっぱしのお願いをするようになった。神様はお願いを聞いてくれるとわかったらしい。

私が朝怒ると、その時は真面目な顔をして急ぐのだが、私もイライラが落ち着いて手を繋いで歩き始めると、頃合いを見計らったように

「今日も怒りんぼだったね。神様に治るようにお願いして。」

と言った。

夜、トゥットゥが寝支度をいつまでもしないのをきつめの口調で咎めると

「あれ、神様に怒りんぼが治るようにお願いしたのに、失敗したの?」

と言った。

まるで神様に見透かされているようだと思った。

ここ最近の私のイライラはトゥットゥの「のんびり」に起因することが多い。それはつまり自分の思い通りに行かない時である。そんな場面は今までもたくさんあったし、これからもたくさんあるだろう。どうすればイライラしないのか。答えはわかっている。それは時間を味方につけることだ。相手に合わせて少しだけ多めに時間を取ればいい。もしくは事前にお膳立てをすればいい。それだけの話だ。私は10分、20分の時間を切り詰めるような切羽詰まった生活者ではない。ゆとりを持つべき子育て生活者なのだ。

私は今、のんびり屋の神様に鍛えられている。