5月27日(日)、ゴッシュ2回目の誕生会もつつがなく終わり、たくさんの人の祝ってもらって幸せだと思った。へそを曲げていたはずのトゥットゥはいとこのターくんを見るとすぐに機嫌を直し、大はしゃぎだった。二人で抱き合い
「結婚しよう!」
「こども生んでよ。」
「はいどうぞ!こどもだよ。」
なんてとんでもない寸劇まで見せてくれた。これには大笑いした。
子どもが二人以上関わると小なりとも諍いが起こる。レストランでのプレイスペースでたっぷり遊んだ二人はどちらが何を片付けるかで揉めた。最初トゥットゥがブロックを片付けていると、後からター君もブロックを片付けはじめた。トゥットゥには手柄を取られたようで面白くなかったらしく、それは自分が片付けていたものだと主張。するとター君も負けじと主張。一緒に片付ければいいのに、もしくは別のものを片付ければいいのに、と大人が思うほど子供はすぐに方向転換できるものではない。私もユキちゃんも自分の子の説得にかかるがそれは徒労に終わった。
ユキちゃんはしびれを切らして他のおもちゃをを無言で片付け始めた。その間ター君はきょとんとした顔でお母さんの様子を見ながら立っていた。片付け終わったユキちゃんは最後に聞き分けのないター君の頭を叩いた。一瞬の出来事だったが、ユキちゃんが苛立っているのがわかった。私はレストランに来る前からのトゥットゥの一件を抱えていたので、共感した。もちろん子供の頭をたたくのは理屈ではダメだとわかっているのだけれど、それくらいイライラするものなのである。私だけではないんだと味方を得たような思いだった。
後でジェイジェイにトゥットゥのことを聞くと
「あの時、お母さんが怒っているみたいに見えて怖かったんだって。」
と言った。怒っていないのに怒っているように見える、つまりセカセカ、イライラしているということか。愚図りはやはり私のせいなのか。
一連のトゥットゥの様子を振り返った。私は思い当たった。
私は4月最終週に仕事に復帰したのだ。保育園の送りの時間も迎えの時間も一緒だからトゥットゥには影響ないと思っていたのだが、それは違う。仕事が一日の中心になって、家にいる時間はまさにセカセカ、イライラするようになった。朝は「お母さんが会社に遅刻するから急いで!」、夜は夜で「朝は早いんだから早く寝なさい!」と一日中せかすようになった。その上すぐに高熱を出すゴッシュにかかりきりとなった。
トゥットゥの高熱は「お母さん、もっとゆっくりそばにいて」という彼女のサインだったのではないか。熱を出すゴッシュを見習ったものなのかもしれない。なぜなら彼は熱が出るたびに保育園早迎えをしてもらえるのだから。
それなのに彼女に熱が出て会社を休んでいる間、私は何をした。カフェやマクドナルドには連れて行くことで、自分がちょっとしたいい母親気分を味わっただけではないか。その一方で、ちょうど締め切りの仕事を抱えていて、土日は子供たちをジェイジェイに任せ、日中仕事を進めた。月曜日も二人きりだと思ったのが、お昼からお熱のゴッシュが割り込んできた。そして熱が下がったらすぐに通常運行に戻るように促した。それは彼女にとって再び「急いで!」と同義だったのだろう。「眠い!」は熱の下がった彼女のレジスタンスだったのである。
うーん。
私は唸ってしまった。仕事もゴッシュの世話も仕方ないじゃない。でもトゥットゥを安心させるほうがはるかに大切ではないか。どうすればいいんだ! 八方塞がりだった。
とにかくまずはセカセカ、イライラしないこと。
その日の晩、これに関してすぐにトゥットゥに謝った。そして仕事をする理由を話し、協力を仰いだ。彼女は無言で頷いた。そしていつも彼女に説明するイライラする理由、お母さんのお腹の中に「イランイラン」という虫がいて、まだ虫下しの薬が開発されていないためイライラを直すことができない、というものを受けて、彼女はこう言った。
「はやくお薬ができるといいのにね。」
ほんと、お母さんもそう思うよ。彼女に寄り添ってあげたいと心新たに思うのだった。