先日乳がんで亡くなられた小林麻央さんの闘病生活は常に気になっていた。一つは単純に歌舞伎好きで、独身時代はよく舞台を見に行っていた。ロイヤルファミリーのことが気になるのと同じ心理とでも言おうか。もう一つは敬愛する私の会社の先輩が乳がんのサバイバーであり、私は治療中に傍にいたので、当時を思い出して同じような気持ちになってしまったこと。そしてもう一つは同じような年の頃、同じような兄弟構成の子供がいるので、母親として感情移入してしまったことだった。
麻央さんはステージ4と告知されたにも関わらず、公表することにいろいろ葛藤があっただろうに、あれだけ強く「生きる」宣言をして、病身をさらけ出して、日々の生きる喜びや不安を隠すことなく綴るブログに私は心打たれた。伴走する夫の海老蔵さんのブログも併せて、闘病の心の在り方を見せてもらった。なんというか、自分がそうなった時の予行練習とでもいおうか。最も理想的な死への準備といおうか。
死と書くと不謹慎だが、ブログを読む限り、その影は確実に見て取れて、全く能天気に「治るに違いない!」とは誰も思えなかったはずだ。それでもおそらく日本全国の、特に子を持つお母さんたちは麻央さんに治ってほしいと祈っているはずだった。芸能人に興味ない私ですら「幼い子を置いて逝くことが一番無念だ!」と思って祈っていたのだから。事実、危機的状況を彼女は乗り越えていた。海老蔵さんはそれを奇跡だと言っていた。微力ながら日本全国の祈りが少しでも届いているのかもしれないと思った。
しかし容体が悪化していくのはブログで見てとれた。ああ、少しでも彼女の苦しみを私が代わってあげられればいいのに。誰かが少しでも苦しみを引き受けることで、7月の息子さんの宙乗りが見れるようになるかもしれない。親子共演が終われば夏休みを家族で過ごせるかもしれない。そんなことを考えていたら、本当に私に苦しみがやってきた。
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6月8日(木)、子供たちと一緒に家に帰ってきてしばらく家事をしていたら唐突にそれは起こった。私の目がかゆい。目を掻いた。埃でも目に入ったのだろう。簡単に考えた。しかし目が痒く、充血した状態は、次の日もその次の日も引かなかった。その上、涙が出続けるようになった。これはおかしい。先日トゥットゥが軽度の結膜炎の診断を受けたので、それをもらったのかもしれないと思った。
週明け、私は眼科にかかった。
「はやり目です。アデノウイルスが出ました。」
検査の結果、残念そうに言われた。ちょうど新聞記事で同じアデノウイルスのプール熱が流行っていると見たばかりだった。ははは、子供の病気ではないのか。私は大したことはないと軽く考えた。
翌日、保育園常駐の看護師に自分がはやり目になったことを伝えると、あっという間に私は保育園にとってバイオハザード扱いになった。感染力が強力で少しの接触でも移るとのことだった。子供にはやり目が移ると約1週間の出席停止となるという。まず他園児との接触を避けるようにと送迎の入り口が別に設けられた。そしてトゥットゥとゴッシュに移さないように、生活指導を受けた。手洗いをすること、アルコール消毒すること、お風呂に一緒にはいらないこと、お風呂は最後に入ること、洗濯物を分けること。そして巨大なアルコール消毒液のボトルまでもらった。
その日、会社で仕事をしていると猛烈な寒気が襲ってきた。その感覚に覚えがあった。インフルエンザの時だ。これは高熱が出ているのだ。自分の体験上、インフルエンザでは1日半くらい熱が出るんだったな…、そんなことを思い出して、ふらふらになりながら帰宅してジェイジェイに状況を伝えた。翌日、彼は会社を休んで、子供たちの保育園の送り迎えと家事をやってくれることになった。私は安静にしていれば病気は治ると考えて、ひたすら寝続けた。しかし私の熱は引かなかった。翌日も相変わらず39℃オーバーだった。インフルエンザは薬(タミフルやリレンザ)で熱が下げられるが、アデノウイルスは耐えるしかないことを知った。
結局熱は6月13日(火)から16日(金)の4日間熱が出ていたことになる。朝晩の家事はジェイジェイが全て代行してくれたが、保育園の送り迎えは一日変わってもらっただけで、あとは私が熱でヘロヘロになりながら行った。とにかく熱で体がだるい。頭が痛い。少しでも動くとへなへなになってしまう。胃腸は問題なかったので食べれば元気になるとわかっていても、咀嚼する気力がない。目からとめどなく流れる涙をティッシュで拭くと血がついた。どんどん弱っていくのが自分でもわかった。
「横にならせてちょうだい。」
保育園に迎えに行った後、私はそう呻いて倒れこんだ。トゥットゥは4歳なので私がどういう状況なのか理解し、一人で大人しくテレビを見てくれていた。問題はゴッシュである。0歳だから母親の危機的状況などわかるはずもない。ベッドで横たわる私の足元で「どうして僕を構ってくれないの」と言わんばかりにずっと泣き続けた。これにはさすがに私も参ってしまった。抱っこしてあげたいけれど私の顔を触ると病気が移るのだ。ゴッシュを抱っこすらできない。どうして私がこんなひどい目に合わないとダメなのだろう。私が何をした! 私はすすり泣いてしまった。泣いてもなんにもならないのにね。
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日中寝込みながら、ぼんやり麻央さんのことを思った。もしかしてこれが代わりではないだろうか。これで彼女の苦しみが軽減されれば…と自己犠牲的なことを思おうとした。しかしそれは完全に私の傲慢であった。自分自身が苦しくてそれどころではないのだ。早く自分の身の上から嵐が過ぎ去ってくれることばかりを願った。
彼女は高熱に加えてがんの痛みにも耐えているのだ。放射線の後遺症で子供の抱っこもできなくなったのだ。その上でブログを書いているのだ。そしてなにより「死」の淵を歩いているのだ。代わりなんておこがましい! 彼女の強さを身をもって理解した。
私には彼女の苦しみや悲しみは到底肩代わりはできない。しかし前にも増して病身の人に静かに気持ちを寄せることができる気がした。それは病の贈り物だった。
贈り物を得たと思ったとき、彼女の訃報を目にした。私は静かに泣いた。
BBCのインタビューに彼女はこう答えていた。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから。
可哀想になんて思わない。よくがんばった。私もよく生きよう。そう彼女に誓った。