2017年7月7日金曜日

初めての懇談会

保育園で個別の懇談会があった。今までは通信簿的なもので上期・下期の様子を保育園、家庭双方の記録を書きあって情報交換していたのだが、新たな園長先生の方針で個別面談が行われることとなったのだ。親御さんの朝夕の送迎時間によっては担任の先生と接触できない可能性があるため、ゆっくり子供について担任と話がしたい方への配慮なのだろう。

担任が教室にいる正規の時間は8:30-5:00。それ以外は早番、遅番といって、他のクラス担任や非常勤の先生たちが持ち回りシフトで担当する。となると、私のかつての預かり(8時に預け、18時に迎えに行く)だと、子供の様子が聞きたくても、なかなか担任が捕まえられないことになる。また現在の預かり(8時半に預け、17時に迎えに行く)でも、ぎりぎり担任と接触可能な時間であるが、やはり立ち話ではゆっくり話せない。

乳児組まで(0、1、2歳クラス)は連絡帳があったので個別に質問できていたが、文字に書き起こすと何かと角が立つことがある。例えば「娘が〇〇君に叩かれたと言っています」とか。「おむつを替える頻度が少ないのではないでしょうか」とか。そういった時に面談が個別にあった場合、その場で質問できるというメリットがある。

そしてなにより一番重要なのは愛着障害や発達障害の早期発見ではないだろうか。保育園で知り合い親子の中にも、保育園、家庭支援センターと連携して、月1回ほど専門家のところに通っていたのを知っている。こういったことを伝えるのに、他の子のお迎えも入れ替わり立ち替わりある中で、立ち話だとまずいのは言うまでもない。

保育園にはトゥットゥとゴッシュを面談日を同日にしてもらい、私は会社を午後休んで参加した。





ゴッシュは保育園で「社長」というあだ名がついたとおり、皆がやってくれるというスタンスであった。寝返りができるようになっても、上を向いてゴロンとしていることが多く、保育園入園時になんとか摺り這いするようになったかなという程度だった。お座りも嫌いだった。はっきり言って不活発であった。ごはんを食べるときもベビーカーに載るときも、絶対に前傾せずふんぞり返ったままであった。

ところが、5月の始めにつかまり立ちをして、あっと言う間に伝い歩きをするようになった。社長キャラの彼のことだからハイハイを面倒くさがってそのまま歩く子になるかと思いきや、摺り這いからの高速ハイハイもするようになり、正しい体の使い方のステップを踏んでいると皆を安心させた。行動範囲が増え、手先が器用になると、できることが増えて、前のように寝ころんだまま、座ったままで「きーきー(連れていってよ!持ってきてよ!)」と騒ぐこともなくなった。「自分でできるぞ!」世界へのかかわり方が前進したのである。

6月に入ると家でもコップでミルクを飲み、スプーンで食事を口に運ぶまでになった。ただし面倒になると途端にそれらを放り投げて「ぎゃう、ぎゃう!(食べさせて!哺乳瓶で飲ませて!)」と要求するのだが。保育園の担任の先生はそのあたりはスパルタで必ず自分でやらせようとするので、彼は諦めて食事の全工程をスプーンで食べ、コップで飲むそうだ。しかしヘルプの保育士の場合は甘えて食べさせてもらう。彼は人を見ているのである。

また彼は園では、チラチラ先生の様子を見ながらおもちゃを触ったり、先生たちのわざと後ろに回って肩をたたいたりして、ニコニコしながら反応を見るとのこと。その様子がとても可愛く、独特の愛嬌があると言われた。確かに私も日常で触れ合っていて、トゥットゥも可愛かったが、彼の場合は少し媚があるというか、人たらしの要素があるなと思うことがある。その様子を、よく愛されて、見守られて育っていることがよくわかると褒めてもらった。他のお母さんも同じように褒めているだろうが、リップサービスだとしても嬉しかった。

結論としては、1歳になったばかりのゴッシュはよく食べ、よく寝て、よくハイハイをし、伝い歩きをし、愛想を振りまく。保育士たちにとっても心配することは特にないとのことだった。





トゥットゥは先生の一声が「幼いころから独特の雰囲気があります」だった。私は子供といえば彼女しか深くかかわっていないので、他の子がどうなのかはわからない。ただトゥットゥは言葉の使い方(ニュアンス)が大人並みで、言葉のセンスがいいなと思っていた。どこがと具体的には言えないのだが、例えば、私がイライラして水筒を落としてしまったことがあった。するとトゥットゥは「ものにあたるのはよくない」とするっとぼそっと言っていた。決して私は水筒を投げたわけではないため事実訂正したかったのだが、「ものにあたる」という言葉の見事さに、イライラしてものを落とすのも同じことかもしれないと反省したのだった。

言葉の使い方がうまいということは、状況や人の感情が言語化できている、つまりより正しく把握できるということで、それは人間関係の悩み(母、父、弟、友達に対して)にも発揮された。自分がどういうことで難儀しているのかわかっていた。だからといって、問題を解決したり、相手を思いやったりというのは別能力なのだが、イライラが暴力や奇声といった表現になることはなかった。常に「ぐぬぬぬ」という表情で何かしら考えている。我を通そうと他の子が不利益になるようなことはやらなかった。もちろん幼いゴッシュにも。どうしても解決できなくて困ったとき、彼女は泣いた。それは彼女の偉いところ、優しいところである。

言葉が豊かな割に、物事に対して叙情的だったり、物語的というより、科学的なアプローチを好み、質問はほとんどが科学で占められた。これが彼女の独特の雰囲気、つかみどころのない感じを醸成しているのではないか、これを書いていてそう思う。

「最近はお友達とお着換えの競争をしてとても速いんです。」これは彼女の性格の一つ「マイペース(のんびり屋さん)」をうけての先生の発言だ。他のことに気を取られて目的に取り掛かることが遅いのは、保育園でも家でも同じで、それは集団生活をする上では直さなければならないところだった。ところが、彼女はもともと誰かと競争するというタイプではないのに、競争する上に、動作が早い。こんな一面があったのかと先生も驚いたらしい。そういえばお迎えが同じ時間になったお友達にトゥットゥが「靴を履く競争しない?」と勝負を吹っかけているのを私は見た。おそらくゲーム感覚で面白いのだろう。

家でもこのあたりは試行錯誤で、私と競争しようと言うと「自分が親に勝てるわけがない、勝負にならない、だから勝負はしない」みたいな抗議をいっちょ前にしてくる。「やらなければならないことをサッとやっておくと、後の時間は安心できるうえに自由に使える。いいこと尽くし!」と社会生活の心得のようなものを教えてみるのだが、いまいち心に響かないみたいで、サッサとはやってくれない。ガミガミも言うのだが、その時は渋々やっても、後から必ず「お母さんは怒りんぼだよね。神様に治るようにお願いしたほうがいいよ。」と嫌味をねちねちと言う。口達者はこれだから困る…。

「トゥットゥはゆっくりが得意なの!」と彼女が言うように、彼女を焚き付けることに躍起になるのではなく、時間にゆとりを持ってやっていれば自然に身につくのではないか。

「(将棋の)藤井四段のお母さんが『何かに集中している時には邪魔をしない』と言っていたので、最近は『藤井四段』とつぶやいて、娘が何かに気をとられてマイペースすぎて叱りたいときはぐっと堪えています。」

と言うと

「ははッ、お母さん、誰もが藤井四段になれるわけではありません。」

と笑いながら冷静に突っ込まれてしまった。

とにもかくにも、「マイペース(のんびり屋さん)」は見守っていこう、先生とはそんな話をした。

特にトゥットゥは集団生活で致命的なこともなく、穏やかにやっていますとのことで安心したのであった。