駅前である不動産屋のお兄さんがビラを配っていた。
「この駅近くで一軒家が出ました。」
私たち一家も家族にゴッシュが一人増え、2LDKの賃貸マンションが手狭になってきた。それにトゥットゥが小学校入学まで、後1年半。その後に新居に引っ越しをすれば、転校の可能性だってある。そうなる前に新居を見つけておきたい。そういうことが頭の片隅にあり、純粋にこのあたりの一軒家とはどれくらいの価格で買えるのか興味があった。
「3400万円!? 80m2超えで?」
私は思わず声をあげてしまった。今住んでいるエリアのマンションは新築だと駅10分以内で5000万円以上。それにサチ母と同居を考えるとゆくゆくは5人の家族構成。それなのに新築で出るのは3LDK、70m2届くか届かないか。正直狭い。トゥットゥとゴッシュが姉妹ではなく姉弟という構成も部屋数を必要とし、4LDKないと厳しいところなのだ。
「今、東日本大震災の復興と東京オリンピックで資材と人件費が高騰しているんです。その煽りをマンションは受けているんですが、一軒家は木造でしょう? 影響はあまり受けないんですよ。」
「あまり」と営業のお兄さんが言ったのは理由があった。聞けば、東日本大震災の帰宅難民の問題から、働く世代を中心に都心回帰が始まり、山手線に近づけば近づくほど、その中に入るほど、土地の値段が上がり始めた。また資材と人件費によるマンション価格高騰は周辺地価を引き上げた。それらの煽りを木造一軒家や中古マンションももろに受け、全体として3年前なら4500万円で買えたものが5000万円を超えるようになってしまったとのことだった。うわー、10%も上昇かよ〜。
それにしても一軒家が今住んでいる地域でそれくらいの値段で買えるとは驚きだった。結婚当初はジェイジェイの実家近くか、それとも都心近くか、新居の場所を決めかねていて、とりあえず、会社にも実家にもアクセスの良い、現在の場所を結婚生活に選んだ。そして子供が生まれ、お互いに生活イメージを固めていき、夫婦共働きで、このエリアに新居を構えようというところまで意識合わせが終わったところだった。当然、一軒家が候補に入ってきたのは言うまでもない。
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先の3400万円の家を安い!と表現したが、それにはからくりがあった。私たちの出身の田舎ではあまり見られない「借地権」というものが設定されていたのだ。読んで字のごとく土地だけ借り物で、その土地に住む権利を買い、毎月地代を払うのである。この権利が「所有権」の60〜80%に設定されているとのことで、この家を「所有権」で買うとしたら、おそらく4500万〜5000万円くらいの間であろう。それでもマンションよりは安かった。
ただ私が一軒家で引っかかっていたことが二つあった。一つは防災面だ。特に地震と水害。ここは東東京下町で、隅田川、荒川、中川、江戸川という川に挟まれた地盤の弱いエリアなのである。ここは鉄筋コンクリート造のマンションの方が、素人目で見て安全ではないだろうか。特に水害、津波は高層階は言わずもがなである。もう一つは家事動線だ。東京下町は鰻の寝床のような細長い狭小地、3階建てが多い。となると、例えば食料品の入った買い物袋を二階のキッチンに運ぶだとか、洗濯干しには屋上にいくだとか、お風呂は寒い階下にいくだとか、とにかくお年寄りに優しくない。
新居探しに腰の重いジェイジェイを連れて、例の不動産屋を訪ね、この辺りを正直に伝えたら、結局「優先順位」だと言われた。普通のサラリーマンで予算上限がある中で、100点はない、70点で手を打たなければならないのだと。私の気になる防災面と家事動線の優先順位が高いのであれば、予算との兼ね合いで、中古マンションを選ぶのが最善ということになる。
ただ担当営業の話によると、中古マンションの気をつけなければならないことは、
・築10年以下の中古は市場にほとんど出てこないし、出たとしても新築に限りなく値段が近く、予算では届かないことの方が多い。
・マンション寿命は50年と言われている中で、築20年のものを買った場合、あと30年で住み慣れた建物を出ていくことになる。いくら修繕が適切に行われて建物寿命が延びたとしても、建物に終わりはくる。そもそも修繕はマンション住民の足並みを揃えるのが難しく、適切に修繕が行われるかは保証できない。
・仮に築15年ものを買って、下の子の子育てが終わるのが20年後として、築35年。住み替えようと思ったとき、築30年を過ぎたものは売れないので、賃貸に出すしかない。借り手がいなければ、管理費と修繕費が発生し続ける金食いのお荷物となる。
つまり、子育てがこれからの家庭には中古マンションは不可能ではないが、終の住処の覚悟がなければ、難易度が高いということである。
その点、一軒家であれば、建物寿命が30年と考えて、建て替え、もしくは更地にでもして土地を売って住み替えが可能で、自分の意思で身軽に動けると担当営業は力説した。身軽なのはわかるが、一軒家は屋根やら壁やら水回りやらメンテナンス代がバカ高いし、固定資産税もマンションより高いではないか。その辺りのランニングコストをざっと自分なりに弾いてみた。
すると、マンションも一軒家もランニングコストはトントンなのね。修繕費が共用部だけと考えると戸別対応も必要なマンションの方が若干高いかしら。またサービスが過剰になればなるほど(コンシェルジュや共用部空調など)管理費は上がるため、ラグジュアリーマンションは圧倒的にコスト高なのは申し添えておく。ちなみに借地権は1回目の20年目の更新を過ぎた辺りから、所有権の方が良かったじゃん…となる。そもそも地主も貸した方が儲かる土地だから貸すわけだしね。
ここから私が導き出した結論はマンションと一軒家はここが表裏一体。上の方がマンション有利で、下に行けばいくほど一軒家有利。
・管理費を払って受けるサービスの多さ
・防災における安全性
・高層階の景観の良さ
・気密性・高断性の高さ
・家事動線の便利さ
・ランニングコスト
・上下左右の騒音問題
・住み替え、建て替え、修繕のしやすさ
・部屋の広さ
・イニシャルコスト
これでジェイジェイは一気に一軒家(所有権)に傾いて言った。家のローンを組むのは彼である。
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7月の末から中古マンション、建売の物件巡りに3回行った。その道中で、あまりに私が家事動線にこだわりを見せるものだから、担当営業からある提案があった。本来なら建売のところ、先にその土地を押さえて、半注文住宅をしないかと。それであれば、参考価格からは少し上がるが、ある程度家事動線の希望が叶えられると言う。
私は注文住宅という言葉で心がときめいた。早速本を取り寄せて、狭小住宅のアイデアを眺めながら、あの土地だったらこういうことはできるか?など考えた。ただしハウスメーカーを選んでの注文住宅は2000万〜3000万円かかり、どう考えても、このあたりで土地を買って、上物を立てたのでは予算オーバーしてしまう。
担当営業が半注文住宅と表現したのは、自分たちのグループ会社のハウスメーカーで建てないかということだったのだ。なるほど、会社社長のインタビュー記事を読むと、「土地で儲けさせてもらっていて、建物はほぼ原価に近い」と言っている。なるほど、土地とセットってわけね。
そうして夢が膨らんだ土地が一つ見つかった。建物は少し狭くなるのだが、3階建てではなく2階建てでも4LDKが収まりそうで動線が理想に近い。希望していたJRの駅からは遠いが歩けないわけではなく、私鉄の駅が徒歩6分と使える。何より予算内であり、生活圏を変えなくて済む。実際に平日日中に足を運んで騒音を確認した。ジェイジェイと一緒に現地から駅まで歩いて通勤に耐えられるか確認した。ここに決まりそうだと二人で予感した。
過去2回の物件巡りではトゥットゥが飽きて騒ぎ始めたので、3回目のこの日は、トゥットゥをユキちゃんとヤマナちゃんに預けて、遊びに連れ出してもらった。だめ押しで他の物件も見せてもらい、最終的にここに決めようと覚悟を決めた日であった。
ところが朝から不動産会社に向かう電車が遅延していた。この時点で不安がよぎった。店に行くと担当営業が契約業務で不在だった。そして物件巡りを終えて、すぐにサチ母に報告をすると、サチ母に泣かれた。一度一緒に見に言った土地なのだが、ニュアンスとしては「あんな場所に家を建てるなんてとんでもない!」という批難だった。
狭い路地で、確かに三方(後ろ、右横、道路を挟んで前)が小さな工場であり、特に裏手は印刷工場で音が気になるところだったが、裏手の窓を減らす、防音にするなどで対応で切るのではないかとジェイジェイと話し合っていた。しかし日中、家にいることになるのは同居予定のサチ母だ。彼女が泣いて嫌がるものを進めるわけにはいかない。
そうこうしていると、不動産屋から連絡があった。ほかのお客様が成約されましたと。やはり予感は的中したのである。
そういえば一軒家で新居を進めようとしている私たちに、「一軒家はお付き合いが大変なのよ。よく考えなさいね」と言われたことを思い出した。おそらく彼女はマンションが良いのだろう。というのも、エミィさんが豊洲の素敵なマンションに住んでいて、サチ母は定期的にここを拠点に銀座や築地に遊びに行くのだ。同居といえば、こういう生活を期待したのかもしれない。
しかし我が家は、職場とサチ母の家の間を取って、下町で生活をスタートした。本音をいえば職場に近い西東京の方がよかったのだが。その下町ですら新築のマンションを購入することはできない。なんとか一軒家を購入するとしても、下町の店舗・工場兼住居の多い住環境はこんなものである。ジェイジェイは母親との電話を切った後「母さんに現実をわかってもらわないと!」と言い、泣かれたことに若干腹を立てていたようであったが、「結局その土地に縁がなかったってことだよ」とあっさりと諦めていた。ジェイジェイに取ってゴッドマザーの影響は大なのである。
駅前でビラを受け取ったことから始まったジェットコースターのような物件探し。これでふりだしに戻る。私はこの間に不動産関係の本を5冊読んだ。さすがに大きな買い物を目の前にして、ああでもない、こうでもないと、検討を重ね、顔にたくさんの吹き出物を作った。期待があれこれ膨らんだ分、疲れた。
少し休んで、また頑張ろう。いい物件が見つかりますように。