2017年9月15日金曜日

ピアノが好きなんですね

トゥットゥがピアノを始めて、はや半年。レッスンは一ヶ月に3回。ウイークデーは私がマンツーマンの練習をしている。会社帰りで晩御飯も用意しなければいけない中、結構しんどいのだが、芸事は手を抜くと途端に下手になるため、毎日ルーチン化を今から徹底させることが重要だと、「あいうえお」の練習も放って、私が唯一子供の教育で頑張っていることだ。

ルーチンと言っても相手は4歳の幼児だ。最初は10分、だんだん楽しく20分くらいでいいかなと思っていたのだが、ピアノ経験者の私が入るとすぐに20分は超える熱い練習となる。

「じゃあ。今のところ5回繰り返してみよう。」
「左手、何してる〜? 次の左手は準備しておく。」
「1、2、3、うんっ! 『うん』のところ休み!」
「ファのシャープをひく時はお指を鍵盤のこのあたりに持ってくるよ。」
「あれ、これなんだっけ? そう『スタッカート』。音をふっと切るよ。」

こんな具合である。声を荒げることもある。先生のレッスンより熱い。

こうなると先生のレッスンいらないじゃんと思うかもしれないが、先生には個人の適性に合わせて課題を与え道筋をつける役目を期待しているし、トゥットゥと私の練習成果を披露する場を担ってもらいたいのである。何より、私のように半端にピアノが弾ける人ではなく、圧倒的にピアノが上手い人が側にいることが、トゥットゥにとってのピアノのローモデルとして重要だと考えている。

トゥットゥは9月頭に、1月の発表会で弾く先生との連弾、トンプソンの「峠の我が家」を課題にもらった。いつものように練習をするとあっという間に弾けるようになってしまった。ピアノの先生はその上達ぶりに驚き、

「きっとピアノが好きなんですね。素晴らしいです。」

と褒めてくれた。しかし果たして本当にピアノが好きなのだろうか。トゥットゥは私との30分の練習に途中で集中力が途切れることもあるが、文句を言うこともなく付いてきてくれる。なかなか根性があるなと思っている。

これをピアノへの情熱(好きという気持ち)だとか、適性と見てしまっていいかというと、どうも違う気がする。というのも自分からはピアノの練習に向かうことはしない。私が練習しようと声をかけるといそいそとピアノに向かうのである。

どうもピアノの練習時間が大好きなお母さん(私)とべったりの時間となることが嬉しいのではないだろうか。この間、ゴッシュはほったらかしとなり、彼は彼でお母さんやお姉ちゃんの関心を引こうと、ピアノによじ登ろうとしたり、鍵盤を叩いたりして邪魔をしてくる。そのたびに無言でお母さんにピアノからひっぺがされておもちゃバリケードの向こうにやられる。こういったやりとりも、いつもゴッシュにお母さんを取られがちなトゥットゥにとっては痛快なのではないか。

ピアノの練習では、私は明確に目標を言う。今日はここまでできるようになろう、○○ができるようになろう。そして弾き終わるとパワーゲージを表現しながら、今ここまでできるようになっている、こうなれば満点になる、と伝える。少しでもゲージが上がると褒める、とにかく褒める。そして練習が終わると、今日も練習頑張ったねと労う。必ず小さな目標を定め、フィードバックしてあげることを心がけているのだ。

自分で言うのも何だが、コーチの鏡のような行動である。そして彼女はこれについてくる。奮闘する。自分の娘に教育の真髄を見ている気がする。きっと私もピアノでデコ母にこうして欲しかったのだろう。しかしデコ母はピアノ未経験者なので、それをわきまえて余計な口は挟もうとしなかった。「練習しなさい」これだけだった。しかし、今だからわかるのだが、毎日でなくてもいいので、練習に顔を出して「いいね」「頑張ってるね」という言葉があればどんなに良かっただろう。私は学生時代を通して親のためにピアノが上手になる以外のモチベーションを持てなかった。

最初のきっかけは母親の関心を引く、母親を独り占めできる、これでもいい。やがて子供達にはそのものの面白さに気づき、対象を深く掘り下げていく態度を身につけて欲しいと思っている。これはどの分野にも必要となる力だと考えるからだ。

それについてトゥットゥは今、いい傾向がみてとれる。保育園に行く途中、練習課題曲をドレミで歌ったり、保育園でのお絵かきではシャープやト音記号を書いてきたり、家のピアノで大好きな童謡やアニメの曲を再現しようとしたり、練習の合間に昔の練習曲を思い出して弾いたりしている。一番顕著なのはピアノへの態度だ。私に誘われて練習することには変わりないが、何度弾いても間違ったり、自分が弾けると思っていた部分が弾けなかったりすると、唇をぎゅっと噛む。たまに自分の手で間違った方の手を叩くこともある。弾けないところに畳み掛けるように私が「もう一回!」と言うと泣くこともある。悔しいのだ。この感情は上達する(掘り下げる)ための大切なエネルギーなのである。

親の私は彼女をピアノの上昇気流に乗せるためにもうしばらく頑張るとする。